大森優

過去の自己紹介文

「誰かのために役に立ちたい。」「でっかいことをやってやる。」

小さい時から漠然とそう思っていました。しかしそれがいつ,どこで,どのように実現できるかはなかなか分からないまま時は過ぎ・・・。そんな中ではじめて,大きいことではないけれど,自分にも何か人のためにできることがあるかもしれない,と思えたのが日本語教育という場所でした。

高校生の時に海外で生活するという機会(今思えば,ですが。当時は拷問。)を得た私は,はじめて「言語」の難しさと大切さ,そして「文化」が一つではない,ということを知りました。ちょっとしたことがすごく嬉しかったり,ほんの些細な行き違いが大きな誤解になり,哀しい思いをしたり。言葉のわからない場所で生活するということは,毎日全力で,一喜一憂しながら生きるということだと思います。その中で私は幸運にも,学校の先生や友人,お隣さんなど,たくさんのよき人に出会い,助けてもらいました。そこで私は「外国人」でしたが,「特別な人」ではありませんでした。それが嬉しかった。

そして,今度は私が・・・!!という熱意の下,日本で暮らす外国の方たちに私は何ができるんだろう,ということを考えるべく,池上摩希子研究室の門を叩かせていただきました。そう,でもまだ本当に扉をちょっと開いたばかり。きっと中もいまいち見えていないと思います。でもそこで覗いた研究室の雰囲気はとても温かいものでした。ここで私も,自分に何ができるか,ちゃんと考えていきたいと思っています。

本当は,色々「考える」ことなく,助け,助けられるようになっていけばいいのに。理想論かもしれないけれど。でもどうしたらそうなれるのでしょうか。同じ地域に暮らす日本人も,外国人も皆,頭で考えなくても自然に暮らしていけるように,今,考えたいと思います。

現況に戻る >