ボリビア滞在記

山田初(研究内容紹介

第1回

22007年6月末より2年間の任期で,JICA日系社会青年ボランティアの日本語教師として,南米ボリビアに来ています。

  • 2007年6月~8月:世界一高い首都(標高3700m)ラパス暮らし
  • 2007年9月~2008年1月:アマゾン低地(標高149m)の小さな町トリニダ暮らし
  • 2008年2月~:アマゾン低地(標高450m)ボリビア一の経済都市サンタクルス暮らし

ボリビア南米最貧国という冠の付くボリビア共和国は,国内の主要都市の標高差が4000m以上,アンデス山脈からアマゾン熱帯に広がる日本の約3倍の面積を持った国です。

経済的には確かに「南米最貧国」ですが,アンデス地方を中心にスペイン植民地以前からのインディヘナ文化が色濃く残り,フォルクローレ音楽やダンス,インディヘナの言葉(アイマラ語・ケチュア語)など文化伝統が豊かで,チチカカ湖やティワナク遺跡,ポトシ銀山,ウユニ塩湖など,毎年数多くの観光客が訪れます。

さて,そんなボリビアには戦前,戦後の主に2つに分けられる日系人が数多く住んでいます。戦前は,約100年前一旦ペルーへ入った日系移民がアンデスを越え,ボリビアのアマゾン地域にゴム液採取労働者として入った転住日本人移民の末裔たち。移住者が全員男性だったため基本全員が混血,3,4世以降の世代が中心で,私が一時暮らしたトリニダ等のアマゾン低地に数多くいます(詳しくは,向一陽(1980)『アンデスを越えた日本人――聖母の川を下る』中公新書,参照)。戦後は,沖縄や九州を中心とした日本各地からの集団移住者たち。それぞれサンタクルス県サンタクルス市郊外に「オキナワ移住地」と「サンフアン移住地」という広大な移住地を作り暮らしています。日本人の1世や2世が中心で,移住地の中はまるで日本。近年「日本語教育」も入ってきていますが,まだまだ「国語教育」も行っています。

そんな日系人の多いサンタクルスで,私は主に子供のための教材作成をしています。

余談になりますが,ボリビアを漢字で表記すると「暮利比亜」。南米各地では「日秘会館」(ペルー),「日亜学院」(アルゼンチン),「日伯…」(ブラジル)など日系団体名を漢字で書くのが普通です。ところが,ボリビアの場合「日暮協会」となり「ひぐれ協会」と読めてしまうわけで,結果唯一「日ボ協会」とカタカナを使用しているのは,漢字の面白いところですね。

⇒ボリビア情報・生活の様子はブログ「地球めぐり」で綴っています。