[自著を語る]
私たちは子どもをどのように見て実践しているのか──「まなざし」を育むことば育て

中野千野(なかの ちの)

cover:『複数言語環境で生きる子どものことば育て――「まなざし」に注目した実践』(早稲田大学エウプラクシス叢書022)

「お子さん,海外に住んでいらっしゃるから英語はペラペラでしょう」,「子どもは(言語習得が)早いから大丈夫ですよ」。このようなやりとりは,日常生活の中でごく普通に交わされ,よく耳にするやりとりではないだろうか。しかし,この裏側には「海外に住んでいるのだから英語はペラペラになるはず」,「子どもだから(言語習得は)早く大丈夫なはず」といった一元的なまなざしが存在する。その向こう側には,そのまなざしとともに生きる子どもたちがいる。

拙書のテーマは,「まなざし」とことばである。「まなざし」はことばとともに形成され,表裏一体であるにもかかわらず,これまで注視されてはこなかった。拙書では,既出のようにごく普通に日常で交わされることばのやりとりとそこに立ち現れる「まなざし」に注目し,個人が日々繰り広げる日本語の授業や子育てといった「日常実践」がどのような意味を持ち,そのことが社会とどのようにつながっているのかといった切り口から,改めて複数言語環境で生きる子どもたちの「ことば育て」を考えていこうとするものである。

拙書は,第1部と第2部から成る。第1部は,「まなざし」論の理論構築とその論証である。他領域におけるまなざし論では,まなざす「主体」を固定化させて見てきため,自身で自己の「まなざし」を見ることができないという矛盾を抱えていた。拙書では,その矛盾を乗り越えるために,「自身で自己の『まなざし』を他者が見るように見てみる」という「まなざし」論を構築し,わたし自身が実践,論証するという展開を試みた。

具体的には,子どもの日本語教育に携わるわたしが自身の授業実践や調査・研究,子育て実践を例にとり,そこに立ち現れる「まなざし」とは何か,今のわたしからまなざすと何が見え,その「まなざし」はどのように形成されているのかといった「まなざし」の形成過程を「自己エスノグラフィー」という手法で明らかにした。しかし,拙書は「わたし」の物語ではない。一個人である実践者(親も含む)が自身の実践への「まなざし」を自身でどのようにまなざし,自身の周りに広がる世界とどのように関係しているのかを論証する過程となっている。

第2部は,第1部で構築した「まなざし」論を援用し,わたしが移住したオーストラリアでの実践例を挙げ,「まなざし」論の展望について考察した。とりわけ11章に掲載したメルボルンの「あおぞら食堂」という食育を通した子どもたちの〈「ことば」育て〉の実践は大変興味深い。「あおぞら食堂」に参加する親や教師が今の自分から自身の「まなざし」をまなざすことで,個人の「日常実践」が,「あおぞら食堂」というコミュニティがどのように変貌していくのかは特筆すべき事柄である。

拙書刊行を目前に,世界中のあらゆる場面でCovid-19の影響が出始め,これまでわたしたちが至極当然のように営んできた「日常実践」が根底から揺さぶられ,急速に変わろうとしている。オンライン化が進み,今後は物理的な移動をせずとも,異なる文化や言語背景を持つ人々と接触する機会は益々増えていくだろう。その間も人は言語間を行き来し,国民国家間を超えた空間軸,自らの過去の経験や未来への希望といった時間軸,社会の歴史や制度,慣習などの境界を頻繁に行き来しながら,日々ことばのやりとりを行い,同時にさまざまな「まなざし」を形成していく。そうであれば,他者とどのようにやりとりをし,社会や物事をどうまなざし,これからどう対応していくのかといった日々の「日常実践」への「まなざし」は今後益々問われるべき課題となっていくだろう。「まなざし」を議論することは,決して過去の実践を反省するための省察ではない。未来に紡ぐための再帰的な省察である。「まなざし」論でいえば,このわたしの「まなざし」もまた,この瞬間から問われるべき対象となっていく。ということは,この先いかに時代が変わっていこうとも,「まなざし」の観点から議論をする限りにおいては,そこに生じる「まなざし」は相対化されていくということである。その意味で,「まなざし」論は複数言語環境で生きる子どもたちの「ことばの教育」という問題だけではなく,むしろ人が生きていく上では欠かせない議論であるといえよう。

拙書における「まなざし」の定義も含め,なぜ「複数言語環境で生きる子ども」なのか,ここで議論している「まなざし」とは一体何なのか,その形成過程を知ることが「ことばの教育」において,ひいてはわたしたちが生きていく上で,どのような意味を持ち,何につながっていくのか。機会があれば,ぜひ手に取ってご自身の目で確認していただき,拙書が改めて「まなざし」とことばについて考える一助となれば幸いである。

なかの ちの:ノースショア日本語学校・シドニー在住)

本稿は,メールマガジン『ルビュ「言語文化教育」』751号(2020年5月22日,言語文化教育研究所 八ヶ岳アカデメイア発行)に掲載された記事を,発行者の許諾を得て転載したものです。