2年間の日研生活で学んだこと

日本語教育研究科32期生 森田直子

今回は戸田研HPへの寄稿の機会をいただき,大変嬉しく思っております。この文章を書くにあたって,もう一度日研生活について振り返ってみました。私は,日本語教育研究科での2年間を通して,以下の2点を学び,日本語教育に関わる者として,そして一人の人間として大きく成長できたと思っております。

(1)学びに打ち込むことは,悲しみや苦しみを乗り越えるための手段となりうる

私はアメリカの大学でTAを経験したことがきっかけで,日本語教育に興味を持つようになりました。しかし,帰国後1ヶ月少し経った頃,母親が突然亡くなるという,これまでの人生で最も心苦しい出来事に直面しました。それは日研の入学式の約1ヶ月前のことで,動揺した中で私の日研生活はスタートを切りました。いざ大学院生活が始まると,研究や課題に打ち込む日々の連続でした。数学が苦手だから無理だと思っていた量的研究・学会発表・論文投稿に挑戦するなど,自分でも驚くほどに,研究に前向きに,熱中することが出来ました。何かに熱中することで,現実から逃れたかったのかもしれません。また,成果をあげることで,自分を正当化して,後悔の気持ちを打ち消そうとしていたのかもしれません。しかし,動機はなんにせよ,アルバイト勤務を行いながら,研究に打ち込み論文を書き上げたこと,修士課程をやり遂げたことは,私にとって大きな自信となりました。

よく,「研究は孤独である」と耳にします。確かに,自分と向き合う時間や一人での地道で孤独な作業も多く,孤独を感じることもありました。しかし,日研には共に学び合える仲間がいて,決して一人ではありませんでした。特に戸田研究室の皆さまは,非常に研究熱心で,毎週のゼミと自主ゼミで,厳しく思いやりを持って指導してくださいました。各自の調査や論文に関して意見交換を行う自主ゼミは夜10時頃まで続くこともあり,これにより自分の研究を進めるための新たな突破口が開けたことも数知れません。自分の研究を第三者の視点で客観的かつ真剣に見てもらえる機会は,研究を進める上での大きな助けになることを身をもって実感しました。合宿では,学会発表の前日の深夜までゼミの皆さまが発表練習にお付き合いくださり,眠い目をこすりながらも,熱心にご指導下さったこともありました。研究室の皆さまは家族のように温かい存在で,研究室は私にとって大切な居場所となりました。「共に学び合える仲間がいたこと」「一人ではなかったこと」が,私にとって,確かに大きな支えとなっていたのです。

生きている限り,この先も困難に直面する場面は必ずあると思います。この日本語教育研究科での2年間を通して学んだ「仲間と共に学び合うこと」が持つ強さを信じて,これからの日本語教育の現場でも,目の前にいる人々と共に学び合い,温かい関係を築き,様々なことを,共に乗り越えていけたらと思っております。

(2)学びはそこにいる人からしか得られないかけがえのないもの

私は現在,専門学校の教員として勤務しています。この現場では,修論を書き上げたこと,日研の授業で学んだことが活かされる部分も勿論たくさんあります。しかし,新たな現場ではこれまでの経験や知識では通用しないこと・初めて学ぶこともたくさんあり,周りの先生方にご指導を頂き,毎日が学び・勉強の連続です。どの現場でも,必ずそこでしか学べないことがあると思います。それは,「そこにしかその人がいない」からです。

同じ日研での2年間でも,出会う人,選ぶ授業や勤務などによって,それぞれ全く異なる学びがあると思います。先生方から学んだこと,同期や先輩・後輩方から学んだこと,それはたった一つしかないかけがえのないものだったと実感しております。皆さまもかけがえのない素敵な日研生活を過ごされることを,心よりお祈りしております。