日本語学習者に対する韻律指導――複合語・句のアクセントを中心に

福井貴代美[研究内容紹介

日本語教育の現場における音声指導の遅れが指摘されている。谷口(1991)のアンケート調査の結果からも,体系的・計画的指導はなされていないことがうかがえる。高い日本語能力を持ちながらも,その発音に問題の残る学習者は多い。そんな中,現場の教師も音声指導の必要性を感じていることは確かだ。しかし,カリキュラム上,音声指導は後回しにされてしまうのが実情であり,その指導法も確立されているとは言えない。そして,学習者側からは,音声指導に対する要望の声が多く聞かれるという現状がある。戸田(2001)のニーズ調査の結果にも「自己の発音に正確さ・自然さを求めている学生が多い」との記述があり,学習者のニーズが高いことがわかる。

では,何を,どこから,どのように指導していったらいいのだろうか。これまでの教育現場における音声指導は,単音と比べ,プロソディーの指導があまりなされていないことが報告されているが,近年,日本語らしさのためには,韻律の教育が重要であると言われるようになってきた。また,そうしたプロソディーに関する発音上の問題は,学習者の母語背景を問わず,指摘される点である。そして,佐藤(1995)では,「プロソディーの中では,高さの要素が日本語らしさに最も貢献している」と述べられている。そこで本研究では,プロソディーの多くの要素の中から,まずは,複合語や句のアクセントの問題を中心に取り上げ,それらのアクセント規則を導入した上で,そのまとまりや文のヤマ(句頭のピッチ上昇から次の立て直しに至るまでの音調のカタマリ)を捉えることに焦点をおいた指導を行う。ヤマは,「フォーカス」と「隣接語間の意味的限定・非限定」によって決定されるが,ここでは後者を中心に扱う。言いかえれば,「特別強調等の意図を持たない平叙文における文中イントネーションの指導」とも言える。そして指導の前後に行う「聞き取りテスト」と「発音テスト」により,その指導の効果を検証し,韻律指導の重要性を確かめる。また,指導対象としない上級学習者に対しても,テストを実施し,その結果もあわせて,聞き取り能力との関係,習得上の難易などの考察を行うとともに,日本語教師による発音テストの評価結果から「日本語らしい自然な韻律」とは何かを考える。また,指導過程に用いる自己モニター型の宿題の成果や,アンケート及びインタビュー調査の結果を整理し,学習者の発音能力との関係を考察する。さらに,教師や学習者の音声指導・音声学習に対する意識についての調査結果からも考察を進める。これら一連の「指導,テスト,評価,調査」の結果を総合的に整理し,一つのケーススタディとして,実践的な研究としての立場から,国内での多様な背景をもつ学習者への指導を前提とした音声指導のあり方を考えるとともに,韻律指導の方法を検討し,その対策案を示すことを目的とする。

以下,章ごとに,概要を述べる。

第1章では,日本語教育現場の音声指導の実情や,音声習得や音声指導に関する研究成果をまとめ,プロソディーについての定義を述べている。音声コミュニケーション能力が不可欠と言われ,学習者が自然な日本語らしい発音で話すことを具体的な学習ニーズとしているにも関わらず,日本語教育の現場では,音声指導の重要性に対する認識度が低く,「何を」「どこまで」「どのように」指導すればよいのかといった検討がなされていないという現状であることがわかった。そして,研究に関しては「誰に」「何を」「いつ」教えるかについて答えられるものは進んでいるが,「どのように」教えるかについて答えられるものはあまり見られないということもわかった。プロソディーに関しても,その重要性や定義を示す研究は見られるが,「どのように」指導するかに答えられるものは,まだ少ないとされる。

「プロソディー=韻律」の定義については,ここでは「音の長さ・強さ・高さ・速さ・ポーズなどの総称」と捉える。そして「韻律的特徴」とは,「発話したときに出現する単音以外の音声的特徴」ということになる。鹿島(2002)では,「韻律的特徴」をアクセント,リズム,イントネーション,プロミネンス,ポーズ,テンポというように,ある決まった現象として捉えられる特徴であるとし,さらに,これらの現象に関わっている高さ・大きさ・長さ・音質という聴覚的な面から見た音のもつ四つの要素を「韻律的要素」と呼んでいる。よって,「韻律的要素がアクセント,リズムなどの韻律的特徴を生み出して,ある発話ができている」と説明される。本稿における「韻律指導」とは,こうした韻律的要素によって生み出される韻律的特徴に関する指導をさす。本研究では,複合語のアクセントやアクセント句,文中イントネーションなどが中心となる。

第2章では,指導の範囲を示した上で,具体的な指導計画のもと,7人の初級後半から中級前半レベルの学習者を対象におこなった韻律指導について述べている。複合語や句のアクセントの問題を中心に,それらのアクセント規則を導入した上で,そのまとまりや,文のヤマ(句頭のピッチ上昇から次の立て直しに至るまでの音調のカタマリ)を捉えることに焦点をおいた指導を行った。規則の導入にはプロソディーグラフを用いた教材を使用した。そうした指導内容とともに,指導を振り返っての,学習者側,指導者側の両方からの見解をまとめている。指導にあたっては,自己モニター型の課題も取り入れたが,学習者は,自らの発音を振り返って,問題点に気づき,それを改善しようとする姿勢が見られるようになったことが大きな変化として挙げられた。また複合語などのアクセント規則の導入により,アクセントに対する意識化が促されるようになったことが示された。そしてその意識化が,発音や,聞き取りに有効に働くことがわかった。また,プロソディーグラフの教材に関しては,母語により,その受け入れやすさの度合いには差があることがはっきりした。そして,プロソディーグラフによる指導においても,また,自己モニター学習に関しても,母語だけでなく,学習スタイル,学習適性などの違いによる個人差も大きいことがわかった。

第3章では,指導の効果を確かめるために,7名の指導対象者と,5名の上級協力者に対しても合わせて行った,「複合名詞」・「句」のアクセントを聞き取る「聞き取りテスト」の内容を提示し,指導対象者の指導前後の結果と,5名の上級協力者のテスト結果も合わせて,個人別,問題別の分析・考察を行い,次のようなことが確かめられた。個人別の分析からは,アクセントの知覚には,個人差や母語の影響が大きいが,アクセントに関する規則を知識として与え,韻律指導を行うことで,聞き取り力は伸びていく。逆に,高度な日本語能力を持つ上級学習者であっても,指導を受けていない場合は,アクセントの聞き取り能力は育ちにくいということである。また,問題別分析からは,複合名詞については,予想していた通りに,特殊拍を含む語が難しいことが結論付けられた。しかし,指導後のテストでは,それらの問題についての変化が大きく,「特殊拍にアクセント核はおかれない」という知識を得たことが,有効に働いたと思われる。句のアクセントについては細かく習得順序を予測することはできなかったが,「アクセント核なし+なし」の下がり目のないものの習得がはやいのではないかとの予測は可能となった。そして,複合語や句のアクセント規則の導入とそれに伴う韻律指導の重要性が再認識された。

第4章では,まず,指導対象者7名の指導の前後および,上級協力者5名に対して行った「発音テスト」の目的や内容を提示している。「複合語のアクセント」や「文のヤマ」を捉えた自然な発音ができるかどうかを確かめることを目的に作られた10個の短文を読んでもらうものである。次に,そのテストは,日本語教師の聴覚印象によって,評価をしてもらったわけだが,その方法について触れている。評価は,5段階の得点によるものと,具体的なコメントの記述からなる。その評価結果から,問題別,個人別の分析を行い,指導の効果や「日本語らしい自然な韻律の要素」とは何かについて考えた。そこから得られた見解を示す。まず,日本語らしい自然な韻律の要素として,複合語やアクセント句のまとまりを捉えた発音が非常に重要であるということがわかった。そして,それらの規則を体系的に整理して提示し,練習を行うことで,学習者の意識化が進み,その発音にも変化が表れる。問題によって異なるが,指導対象者の全問題文の平均では,全員が指導後のポイントが高くなっている。ただし,上昇幅の個人差は大きい。また,単音に比べて,アクセントをはじめとする韻律に関わる問題は,上級レベルになっても,残るものであり,日本語らしさの評価においても,個々の音の正確さよりも,プロソディーが重視されていることがわかった。また,「聞き取りテスト」で見られた結果と同様,上級者であっても,こうした韻律指導を受けておらず,規則に関する知識も持っていなければ,意識化が促されず,発音における評価も低いものとなってしまう傾向があることが見られた。よって,複合語や句のアクセントなどの知識を与え,それらを指導していくことの必要性は高いと言える。ただし,発音においても,聞き取り同様,母語や,学習スタイル,学習適性などによる個人差が大きく,対処が必要である。また,上級者の問題点から,形容詞のアクセントの習得の難しさがわかった。

第5章では,2~4章のまとめとして,学習者の発音能力を支える要因について考えている。3・4章の「聞き取り」・「発音」テストの結果や,2章の実践指導における自己モニター型の宿題の評価,さらには音声資料提供者に対して行ったアンケートやインタビュー調査の結果をもとに,考察を行った。まず,聞き取り能力との関係については,「聞き取り」「発音」の2つのテスト結果から,「聞き取りの際の基準とそれを意識した発音」という観点から,相関性があろうとの見解を得た。聞き取り力のある者は,聞き取りに際して,明確な基準をもっており,それを意識して発音することで,発音もよくなるという傾向が見られるということである。次に指導における宿題の評価結果や,上級者のテストのフィードバックの結果から,自己モニター力が高いと判断された学習者は,発音テストにおいても評価が高く,この調査の範囲では,自己モニター力と発音能力に関係性がありそうだという傾向が示された。また,そのほかにも,アンケートやインタビューの結果から,発音学習に対する意識や発音向上意欲などが,学習者の能力に大きく関わっていることがわかった。また,「発音がいい」と言われる学習者は,聞き取りに際しての有効なストラテジーを有しており,それが発音にも表れていることなどが示唆された。

第6章では,音声資料提供者・評価者という協力者へのアンケートやインタビュー調査の結果をまとめ,5章までの本研究の成果を振り返りながら,それらをもとに考察を行い,教師の役割,韻律指導の重要性とその指導法などといった観点から,日本語教育への提言を行っている。主な点を以下に示す。谷口(1991)の調査から,10年以上の時が経ち,教師の音声指導に対する意識も少しずつ変わってきており,韻律指導の重要性も感じているものの,何をどのように指導したらいいのかわからない状態であることや,学習者の音声を正確に分析できないという現状も感じられた。それらから,教師教育の必要性が示唆された。さらには,体系的・継続的な指導を行うにあたっては,教師だけでなく,教育機関全体に音声指導の必要性を再認してもらえるような動きが望まれる。そして,韻律指導の方法については,絶対的な方法はなく,本研究でも行ったように,学習者に配慮し,いろいろな方法を組み合わせて行うことが一般的であろうとの見解に達した。また,レベルに応じて,音韻規則などを与えていくことは重要なことであると言える。そして,研究においては,現場の教師が応用可能な実践的な研究の積み重ねから,よりよい指導法を提案していくことが求められるであろうと述べた。

第7章(終章)では,6章までのまとめを行い,結論として,研究全体を見通しての,日本語教育への提言を述べるとともに,今後の課題について触れている。

音声指導の中で,韻律指導の重要性は高く,韻律指導を行うことで,学習者の聞き取り能力も,発音能力も伸びていくことが期待できる。そして,指導に際しては,何らかの形で,アクセントの仕組みなどの音韻的な知識を与えていくことが必要である。そのためには,体系的な指導が望まれる。しかし,音声指導という特別な時間枠以外でも,韻律の指導は可能であり,そのためには,音声指導を特別視しないで,常に教師が音声に対して,高い意識をもち,指導の場に臨むことが必要である。そして,学習者の意識化を促し,発音学習に対する意欲を高めるような配慮が望まれる。韻律指導の重要性は確かではあるが,その方法に関する研究はまだ少ない。よって,今後は,本研究でも行ってきたような,実践指導から得られた見解をもとに,問題点などを検討する中で,新たな方法を生み出していくという実践型の研究が求められるだろう。

韻律指導において,絶対的な方法というものはないが,日々の授業の中で,音声的な側面に対する学習者の関心を高め,学習者が自らの発音を客観的に振り返り,アクセントや文のヤマなどの意識を持つようにさせていくことが大切である。意識化がなければ,改善は望めない。そして,アクセントなどの問題はできるだけ早い段階から,その重要度を認識させておく必要があると言える。さらに,音声指導は他の指導項目以上に個人差が大きいものである。とくに,さまざまな母語の学習者が集まっているクラスにおいての指導では,母語による配慮が必要であるとともに,学習者の性格や学習スタイル,学習適性などの個人差への対応が重要となるだろう。

最後に,今後の課題について述べる。まず,韻律指導に関しては,今回のような指導項目を絞り込んだ集中的な指導ではなく,指導項目も増やし,長期的な指導計画の下に行う縦断的な研究の要素が望まれる。さらには,母語による統制を設けての指導も考える必要があろう。そして,指導項目に関して,動詞の活用形のアクセントや,形容詞のアクセントについては,上級になっても,問題が残ることも多い項目であり,早い段階での指導が望まれるものである。また,体系的な指導が可能な項目であるので,これらの指導を行い,その効果を検証することもぜひ行うべき課題であると考えられる。そして,継続的・体系的に韻律指導をすすめ,そこから得られた知見をもとに,具体的な指導法の提案を行っていきたい。また,今回は行えなかったが,指導の効果を測るにあたっては,より多くのデータを得て,統計的な処理により,その有意差を確かめる必要があろう。さらに,音声分析により,ピッチ曲線を抽出し,具体的にその変化を提示するような方法を一部に取り入れることも考えられる。また,母語の影響以外に挙げられる音声習得の要因として,学習適性,学習スタイル,目標言語の使用頻度,そして学習経験や,学習開始年齢などに至るまで,さまざまな要素が考えられるが,それらと学習者の発音能力との関係を細かく調査し,分析を行っていくことも韻律指導を含めた音声指導を考える上での今後の課題の一つと言えるだろう。

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