日本語教育実践研究 (5)

受講生よりひとこと(2006年4月~2010年3月)

修士課程15期生より

「小林先生の実践は厳しくて,大変!」そんな噂を日研生なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その噂は本当です。厳しくて,大変です。

ただ,それは言葉を変えれば,「小林先生の実践は実習をとことんできて,充実感がある!」といえると思います。毎回の参与観察や実習,授業内外での話し合い,夥しい数のメールのやりとり…その全てが能動的な活動で,日本語教師として自分がどんな視点を持つべきか考えさせられます。

実践(5)は全く日本語教師の経験がなかった私にとって,全てがチャレンジでした。生まれて初めてする90分間の授業。用意された内容どおり授業をするだけでも充分挑戦といえるのに,目の前にいる学習者にはどんな授業が必要なのかを考えて教案を練っていくことが本当に大変でした。決して,「こうしたらよい!」と言ってくれない先生に,「指示をしてくれたらどんなに楽か」と思ったこともありましたが,自分で悩み続ける中でだんだんと自分なりの答えを見つけていったことが充実感につながったのだと思います。

実践(5)で得た学びはこれから日本語教師になる私をしっかりと支えてくれることと確信しています。(さ)

修士課程14期生より

筆者はベトナムで日本語教育を携わっていた経験があったが,ベトナムでの日本語授業の行い方は日本での日本語授業と違いがあるので,2回しかなかった教壇実習は,筆者にとって貴重な訓練教壇となった。この場を借りて,学んできたことを述べたいと思う。

まず,シラバス検討や授業見学ノート,教案作成などの活動を通して,授業の組み立て方や教室活動を展開する教師のストラテジーについて学んだ。

教壇実習の前に,やはり教案に苦労した。どんな教案を作れば学習者に役に立つのか,20~30分の実習が納得できる授業になるのか悩んだ。教案を作成した際に,練習問題の例が浮かばなくなったり,変な日本語になってしまったりということもあった。2~3回ほど教案を作り直すこともあった。実践の後に,活動の目的が達成できないまま終ってしまって,教案通りに行かなかったり予想外の質問をされたり自分がまだ準備不足であると分かった。失敗したことが多かったが,それが訓練だと実感した。特に,学習者の疑問に答えられない時,自分自身の勉強不足だということにとても反省した。人に教えるということは,すべて完璧に把握しどんなことも乗り換えていくことが大切だと学んだ。

次に,どんな学習文法項目であっても,教案の中に取り入れる活動の目的を必ず明示することである。というのは,活動の目的が分からなかったら,いくら練習させてもゴールが見えなくて終ってしまうからであろう。だから,まず活動の目的を考えて,それを達成できる適切な練習活動を考えるのは良いのではないだろうか。

続いて,授業の際に,教師の発話を出来るだけ制限するようにする。学習者に発話させる時間を増やす。また,文法などの説明は,メタ言語を使わないで,例文などを提示して学習者に使い分け・違いなどを気づかせるのが重要なポイントだと思う。また,学習者の発話へ必ずFeedbackを送ること。学習者の立場から考えると,自分の発話は正しいかどうか教師にチェックして欲しいから,学習者に自分の発話の安心感を作らせるのが大切だと思う。

最後に,学習者の立場に立って,教案作成・練習活動などを考える。つまり,導入学習文法項目は,学習者に実際のコミュニケーションにおいて,使われているのかを考慮しながら例文及び練習問題などを設けるのが大切な焦点であると思う。(フ)

修士課程14期生より

「実践研究(5)」は噂通り大変なだけであって,終わったあとの達成感もひとしお!入学したばかりで左も右もわからない状態であった私は,この授業を受講することで,「努力した分だけ自分に返ってくる」という言葉の意味を身をもって知った。

最初は,授業についていくだけで必死な日々で,先生の厳しいコメントに落ち込んだり,教壇実習のときには失敗の連続で日本語教師としての自分の資質に疑問を感じたりした。しかし,それでも諦めず頑張り続けられたのは,最後の最後まで指導してくださる先生,一緒に励ましあう仲間の存在,それから頑張った分だけ成長するという信念があったからである。

毎週迫りくる課題,おびただしいメールのやりとり,何回も書き直した実習教案――学習者の目線に立った授業を目指しての試行錯誤を繰り返しているうちに,自分の頭の中で抽象的なイメージとしていた「日本語教師」が実際どんな仕事をしているのかを身をもってやっと学ぶことになった。

まだまだ半人前の日本語教師であるが,今の私にしかできない実践もきっとあるはず。ここで学んだことを糧にして,これから様々な現場で新しい経験を積んでいきたい。

いつか立派な一人前の教師になるのを目指して今日も頑張ろうー!!

修士課程13期生より

はっきり言って,日研内では“小林先生の実践研究はキビシイ”ともっぱらの評判である。ましてや,小林先生の理論研究と実践研究をいっぺんに取る,と言った日には,「死んじゃうよ~,死んじゃうよ~」と止めにかかる輩まで現れた。朝が弱いという弱点を知る人は,「朝9時からだよ~。参与観察も9時,実習も9時だよ。」とわざわざ心配してくれる。

そして,“小林先生の実践研究は勉強になる”という評判があることも,また事実である。勉強になる,と言われると,勉強するために日研にいる身,取らないわけにはいかない気がしてくる。

この実践研究を通して,日本語教育とは学習者ありきの日本語教育であることを実感した。学習者の目線で考えるということはどういうことなのか。どんなに立派な修論が書けても,目の前の学習者のことを考えることができなければ,意味がないのではないか。自分の研究が,学習者の日本語学習にどのように貢献できるのか,実践と研究がようやく自分の中で結びついたように思える。

実践研究(5)の受講は終わったけれど,幸い死ぬこともなく,むしろ日本語教育がますますおもしろくなり,そしてますます元気になった今日この頃である。

修士課程11期生より

一つの授業がどのようにして成り立っているのか,教案作成,シラバス検討のプロセスを学べました。見学する授業のシラバスについて,教案を事前に作り受講生全員で検討するため,その課の文法項目に対し深く考え,そして,考えたことが実際どう教えられているのかが解ります。さらに,見学後には,その活動の一つの教案を復元するという形でもう一度考え直します。理論→実践→理論という形での取り組みです。私は教えたことがなかったので,じっくりシラバスと向き合える時間が持てたこと,他の受講生の意見を聞けたことで,毎回,力になっていったと思います。

修士課程10期生より

授業準備として,2つのことが課せられています。1つは,次回,見学する授業のシラバスについて,文法項目の整理や教室活動について調べあげ,自分なりにまとめてくること。もう1つは,授業を観察し時系列にまとめ,その中の1つの活動を教案として復元し,感想をまとめることです。常に「自分だったらどうするか」を念頭におき,自分で時間をかけて作成していくので力になり,まとめたものをもとに先生や他の受講生の意見がきけることで,疑問点が解消され,違う見方ができ「自分なりの教え方」が確立されます。

自分が実際に教師になったとき,実践として役立つ内容を,精神的にかつ物理的に学んでいます。

修士課程10期生より

「実践研究(5)」は,2006年度春学期,5名の学生が履修しています。少人数で行われているため,互いの意見を活発に交換でき,とても刺激的な時間を過ごしています。

この授業では,シラバス検討,教案作成,授業運営などを実際に参与観察しながら考えています。基本的な点から学ぶことができますので,教師経験のない私にとって意味のある授業だと考えています。

教師経験がないため,私はどうしても母語話者の視点で考えてしまう傾向にあったのですが,この授業で学習者の視点で考えることの大切さを学びました。また,そのためには何が必要なのか,どのようにしたらいいのか,ということを学んでいます。