書評

川村湊(2004).『海を渡った日本語 ― 植民地の国語の時間(新装版)』青土社.

本書が考察の対象としているのは,日本の旧植民地・占領地における「国語(日本語)教育」である。著者自身は本書について,それぞれの地域における「『日本語教育』という『物語』を作り上げ」た(序章)と述べている。その手法によって,本書では個々人のレベルでの,具体的な葛藤や桎梏が描き出されていく。ただ,その「物語」の「日本人」側の「主人公」の多くは文学者である。そして,彼ら自身は必ずしも現場に直接関わる者ではなかった。そのため,「日本人」側の,各地域の現場に対する,例えば「思い入れ」のようなものが見えづらい部分があるという点は否めない。

一方,「物語」の現地側の「主人公」である子どもたちが綴った文章からは,年少者に対する「日本語教育」につきつけられる大きな課題が浮き彫りにされる。「日本人に生まれて日本語が正しく使へない」ことを教師に叱責されて涙を流した少女の作文(第2章)からは,「強者」からの同化圧力の強さが伝わってくる。そこでは,日本語教育の「成果」と同化の「成果」とは本質的に同じ意味である。

本書が示す通り,旧植民地・占領地での日本語教育とは母語・母文化剥奪のための装置であった。その歴史に対して,現在の年少者日本語教育は真摯に向かい合わなくてはならない。「日本に暮らして日本語が正しく使えない」JSLの子どもへの教育,すなわち年少者日本語教育に関わる者に自戒と覚悟を促す著作である。(渡辺啓太)