書評

児島明(2006).『ニューカマーの子どもと学校文化 ― 日系ブラジル人生徒の教育エスノグラフィー』勁草書房.

本書は「ニューカマーの子どもたち」と「学校文化」の出会いと葛藤の諸相を描き出し,次の点を明らかにすることを目指している。一,学校文化がどのような実践により構成され,維持されているのか。二,ニューカマーの子どもたちの教育ニーズと日本の学校文化が提供するものとの齟齬は何か。三,学校文化変容に向けた糸口はどこにあるか。そのために,児島は東海地方にあるX中学校およびQ団地においてエスノグラフィーを行い,ニューカマーの子どもたち,その家族,そして教師の「物語」と「戦略」を分析する。

本書は次の二点において新しい視点を提供している。第一は,ニューカマーの子どもたちをとらえる視点である。児島は,ニューカマーの子どもたちが抑圧された環境の犠牲者という受動的な存在ではなく,自らが生き抜くためにさまざまな戦略や戦術を使う主体的な存在であることを明らかにした。第二は,「学校文化」のとらえ方である。児島は,「学校文化」とは実体のある固定的なものではなく,それぞれ固有の立場や利害を持つ行為者が意味を巡ってせめぎあう闘争の場であり,個々の実践や葛藤の過程で構築され,かつ維持される進行中のプロセスであるととらえる。さらに,このような葛藤・交渉・妥協の営みを明るみに出し,対話を始めることこそが,「学校文化」を変容させ,多文化主義教育を展開するための糸口となると,児島は主張する。これらの点は,ニューカマーの子どもたちと彼らを取り巻く「学校文化」の営みをよりよく理解するうえで,極めて示唆的である。

しかし,年少者日本語教育,あるいは教育にかかわる立場から本書を読むとき,物足りなさも感じる。なぜなら,ニューカマーの子どもたちの「声」を取り上げ「対話」を創出するために,どのような言語教育,あるいはどのような教育が必要かという,教育の中身については議論されていないからである。周辺化された子どもたちの声は,教育カリキュラムの中でこそ中心にすえられるべきである。今後,本書で提案された視点と課題を踏まえ,言語教育の中身を考え実践していくことが,年少者日本語教育に関わる者に残された課題であろう。(太田裕子