前途遼遠@オレゴン
――遼子のアメリカ大学院留学だより

山﨑遼子(研究内容紹介

第8回 「一年の終わりに」(2007年6月)

公立学校の一年を締めくくる6月。生徒との別れを横に見ながら,前方を見つめる。

この一年間,様々なことを経験した。文化的背景の異なる人との接触・関わり。自分が生きてきた文脈とは異なる地における教育の在り方。さらに,自分に自分の「もととなる」場所があるということ,陰からの支えとなる家族や生きるモデルとなる先人がいるということに対する喜び。

自分の第一言語ではない言語に浸り生きると言うのは,気づかぬうちに精神的ストレスや緊張,体力の過度消耗を起こしているものである。私の場合望んで足を運んだアメリカでさえ,自分の弱さに気づくことがあった。

そんな時,「日本語」の存在は大きかった。自分が自信を持てる言語があるという事実は想像以上に私を強くし,他言語環境におけるプレッシャーの中に一人立つ自分という人間を支えていた。

生徒の,これは,他己表現。

どんな言語でも構わなかった。私にとって必要だったのは「自分や自分の思考を心のままに表現できる」言語があるということだった。だから,私の場合,「言語の地位」がどうということより,自分のためのことばがあることが一人の人間を育てることを知った。

生徒の,これは,他己表現。

子どもの場合,学校の文脈では,「言語の地位」にもっと敏感になるかもしれない。ただ一つ確かなのは,言語使用の目的は多々あるが,「自己表現することで,自分を見つめることができるようになる」には,言語が必要不可欠だということである。それはつまり,言語教育が,地球上に生きる全ての人々の健全なる成長に貢献できる理由であるとも言える。(写真:生徒の,これは,他己表現。)

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