移動する子どもたちの言語教育を考える
川上郁雄
ご紹介いただきました早稲田大学の川上です。どうぞよろしくお願いいたします。愛知教育大学には初めて伺いましたが,大変広いキャンパスで驚いているところです。2002年に早稲田大学に移る前は,宮城教育大学に9年ほどおりまして,大学生への日本語教育を担当していましたが,同時に,年少者への日本語教育も研究しておりました。先週の日曜日も仙台で多国籍児童生徒のサポートを考えるシンポジウムがありまして,多くの方といろいろと意見交換をしてまいりました。今日,初めて愛知県で,先生方とお会いできる機会を与えていただいたことを大変光栄に思っております。
早速ですが,スクリーンとハンドアウトをご覧いただきながら聞いていただきたいと思います。
「移動する子どもたち」とは
まず初めに,タイトルにもあります「移動する子どもたち」についてお話をしたいと思います。こちらのほうでも団地に住んでいる外国人の子どもたちがいると伺っていますが,東京はもちろん,全国の学校にも同じような子どもたちがいます。そういう子どもたちの特徴は「移動する」ということだと思います。
まず1点目は,空間を移動するということ。大量人口移動あるいはグローバリゼーションということで,海外からどんどん労働者が来ます。親に連れられて転々とすることもあります。親に連れられて動くという意味での移動です。この現象は,愛知県だけではなく,また,日本だけではなくて,世界中で起こっています。いろいろな形で人間が動くものですから,子どもも一緒に動くわけです。
もう1点は,言語間を移動するということ。家庭では母語を使っているけれども,外では違う言語,ホスト社会の言葉を使うという形で言語間を移動します。あるいは,片方の親とは日本語で,もう片方の親とは中国語で話すという形です。あるいは,親から母語で聞かれたときに日本語で返すとか,子どもたち同士は日本語で話すとか,家庭の中でもさまざまな言語の間を移動しています。
この2つの意味で「移動する子どもたち」ととらえていますが,子どもたちは好きで移動しているのではなくて,移動せざるを得ないわけです。ここがポイントではないかと考えています。従って,二重の意味で「移動せざるを得ない子どもたち」ととらえることができます。そこで課題となるのが,こういう子どもたちの教育をどう確立していくかという課題です。そして,そのことは,地域社会をどうしていくか,あるいは,日本社会をどうしていくかという社会像の模索とも関連する大きな課題ではないかと思います。
「移動する子どもたち」の特徴
次に,こういう子どもたちはどういう特徴があるか。レジュメにも書きましたとおり,私たちはJSL(Japanese as a Second Language)の子ども,第二言語として日本語を学んでいる子どもという言い方をしています。海外において,例えば英語圏で第二言語として英語を学ぶ移民の子どもがESL(English as a Second Language)の子どもと呼ばれているように,第二言語が日本語なのでJSLというふうになっています。
そこに日本人のお父さんとタイ人のお母さんの間で育っている子どもの例を書きました。私がおります早稲田大学は東京のど真ん中の新宿区にあります。大きな歓楽街があって,そこに親が夜,働きに出る。子どもたちは,学校から帰っても家に誰もいないので,親から与えられたお金でコンビニ弁当を買って食べる。親は夜中に帰ってくる。朝,親は寝ているので,朝ご飯も食べずに学校へ行く。こういったようなことが起こっています。
そういった子どもたちの言語教育をどう考えていくか。今,「移動する」とお話ししましたとおり,こういう子どもたちの言語教育は分断されています。母語で教育を受けられないまま,ほかのところへ行って,違う言語で教育を受ける。そして,また移動していく。ですから,一貫した教育ではなくて,分断されている状況になっているわけです。
黙っている
子どもたちはどんな様子か。黙っている,これが1つの特徴です。初めて日本に来た場合,日本語が分からないので,当然,黙っている。これはある意味でストラテジー(方略)です。自分の置かれた状況に対応するための1つの方法が黙っていることなのです。いくら話し掛けても全然反応がないと思われるかもしれませんが,黙っていることは分かっていないという意味ではなくて,その子なりにいろいろ観察して周りを理解しようとしています。
以前,オーストラリアの教育省に勤めておりましたとき,小学校1年生の娘を現地校に入れました。彼女は英語が全く分からないので,最初はずっと黙っていましたが,半年後,突然ポッと英語が出てきました。周りはびっくりしたそうです。黙っているのは,全く分からないということではなくて,周りを見て,その子なりに考えているわけです。これが1つの特徴です。
分かったふり
1年から2年たって少し日常会話ができるようになると,今度は分かったふりをするようになります。そのため誤解が生じることもあります。例えば「あした,知立の駅で1時に会おうね」と約束したのに来ない。「何で約束を破ったの?」というようなことでけんかになる。実は,分からない単語があって理解できていなかったのに,分かったふりをしたりする。周りも,その子はいろんなことをやれるので,分かるはずだ,理解しているはずだと思うのですが,実際には抜け落ちている。そうすると,「あなた,約束したのに来なかったじゃない」と,結果的に友達との仲たがいに発展してしまうこともあります。
集中力
それから,集中力が続かない。違う言語の世界に入ると,大人の皆さんでも,意味を理解しようと相当集中力を使うはずです。終わって帰ってくるとぐったりしてしまいます。子どもも同じですので,やはり集中力が続かない。だから,すぐほかのことをする。「さあ,勉強するよ」と言っても,急に筆箱から鉛筆をカタカタやって,教室の隅にある鉛筆削りのところへ行って,鉛筆をガリガリ削りだす。
乱暴
それから,乱暴で暴力を振るうときがある。娘の現地校の先生に,ある時,「おたくの子どもは大変問題がある。暴力を振るう」と言われました。うちの娘は言葉は出なかったのですが,友達と一緒に遊べました。そのときに,相手の肩をたたいたりする。「こっちを向いて」ということです。突然たたかれた友達は,「何でたたくんだ。暴力だ」ということで,親や先生に言ったわけです。暴力を振るっているように見えるけれども,もしかしたらコミュニケーションしたいということかもしれない。
しゃべるけれども教科内容が理解できない
もう1つは,よくしゃべるけれども教科内容が理解できない場合があるということです。もともとの学力が弱いように見えるわけです。それがずっと重なると,「やっぱりあの国から来た人はみんなこうね」という偏見や誤解につながります。
これ以外にも,皆さんも,多分いろいろな特徴をご存じかと思います。今日は盛りだくさんにお話ししたいと意気込んで参りましたので,少し早口になっているかもしれません。ここでビデオをお見せしたいと思います。
事例 ― 大久保小学校
これは5年ほど前に放送されたNHK教育番組のビデオで,今,映っているのが新宿区にある大久保小学校です。1学年1クラス,全体で6クラス,150名ほどの学校ですが,その半数以上が外国につながる子です。今,見ていただいたのは日本語取り出し教室の一場面ですが,現在はあのような指導の仕方ではなく,別な方法でやっています。
この学校は,私も毎週通って授業を見せていただいたり,うちの院生たちが支援したりしています。外国人の子どもが多いことで非常に有名で,現在も研究校に指定されていて,さまざまな実践がなされています。先週も大きい研究授業がありまして,全国から200名以上の参加がありました。
今,出ていたキム君は,普段は母学級にいて,1日1時間だけ日本語の教室に通っています。いわゆる取り出し指導,子どもから見ると取り出され指導ですが,そういう指導を受けています。今,大久保小学校では,40人ほどが取り出されています。各学年1クラスしかないんですが,1クラスから5人か6人ほどが指導を受けていることになります。
「日本語指導が必要な外国人児童生徒」とは誰か
文科省は,こういう子どもたちのことを「日本語指導が必要な外国人児童生徒」と呼んでいます。毎年,その数が調査され,公表されています。おそらく先生方の学校でもそういう調査が毎年あるでしょう。管理職の先生が教育委員会のほうに送って,集計されたものが本省に上がっています。それで出てくる数が1万9,000人です。ホームページをご覧いただければ,詳細が分かります。毎年,大体1万9,000人ですが,私たちが考える日本語指導が必要な子どもたちはそれよりももっと多いと見ています。もちろん,現場にいらっしゃる先生方もそう思っていらっしゃるのではないかと思います。
今日のテーマは,このタームにもかかわることです。レジュメにも書きましたが,その調査は現場の先生方にご判断いただいているわけです。基準は特に明確ではなくて,日本語指導が必要だと思えばカウントされますし,日常会話ができるからいいかと思うとカウントされません。そういう調査です。ですから,基準があいまいで,必要性がよく分からない,あるいは,どういうふうに指導していったらいいのか分からない状況で,毎年この調査が行われています。
ご紹介にありましたように,文科省のJSLカリキュラムの開発にかかわっておりまして,今,追い込みの段階です。今つくっているのは中学校編です。そのプロジェクトでお会いする文科省の方に「この調査はすごくあいまいなので,もう少し改善してみたらいかがですか」と申し上げると,「いや,これはやめられない。毎年やっているから」と。でも,「毎年やるのは結構ですが,中身についてもう少し検討したほうがいいのではないですか」ということは申し上げています。
レジュメの2枚目に行きます。問題点,課題として,日本語指導が必要だと判断するのは誰なのかということ。あるいは,国籍が重要なのかということ。つまり,ここでは外国人児童生徒になっていますので,日本国籍を取っている場合はカウントされません。それから,よく現場でもお聞きしますが,日本語能力がどれぐらいあったらいいかというようなこと。それから,滞在型なのか,定住型なのか。1年2年で帰る子だから,これぐらいでいいんじゃないか。この子は定住型だから,やはり高校進学のことも考えて指導しないといけない。いろんな会話が現場ではあるのではないかと思います。
また,不就学,学校に行かない子どもたちもJSLの子どもに含まれると思います。児童生徒となると在籍している子どもになりますが,義務がない外国人の子どもたちは私たちの法律の外にいますので,そういう子どもも含めて考える必要があると思います。どういう特徴があるかといえば,やはり多言語環境です。多言語環境の中で言語教育をどう考えて,つくっていくかというのが大きな課題です。
やはり最大の問題は,レジュメにも書きましたが,日本語指導が必要なJSLの子どもとは一体誰なのかということです。これは,まだはっきりせず,確定していません。それが最大の問題だろうと考えています。
こういう子どもたちの課題にはどんなものがあるのか。皆さん,ご存じのとおりです。初めて日本に来たときに,初期指導をどんなふうにしていくか。適応指導をどうしたらいいのか,あるいは教科指導,あるいは母語維持の問題,あるいは家庭内のコミュニケーションの問題。先ほど言いましたように,時間がたつと,親子の会話ができなくなるという状況もあります。それから,進学進路の問題,あるいは不就学の問題。
教員養成大学でもそういった子どもたちに対応する教員養成が十分ではない。これは愛知教育大学が悪いのではなくて,法律がないのです。法律によってカリキュラムが規定されますが,その法律がないので,ほかのものは教えられないということになります。国の方針が変わらない限り,こういう教員養成をつくることができません。政策の遅れ,研究の遅れという問題です。
誰の,何が課題か
では,こういう課題は「子どもたちの課題」なのかということです。ここは非常に重要なポイントだと思います。子どもたちが「課題」なのではなくて,子どもたちの「課題」でもなくて,実は,子どもたちが「抱えさせられている課題」だということです。それは私たちの課題です。この問題を社会の問題としてとらえない限り解決できません。子どもがいなくなれば問題が解決する,あるいは,子どもが日本語を話せるようになれば解決するというふうに,問題を見誤ってしまうのではないかと思います。この問題群は,学校や地域,行政や大学などに深くかかわっています。子どもたちの課題ではなくて,やはり子どもたちに抱えさせている問題だととらえることが重要だと思います。
では,何が課題なのか,問題なのか。宮城教育大学の市瀬智紀先生と一緒に,日本語指導の必要な児童生徒に関するアンケート調査を行いました。宮城県内60校から48の回答をいただきました。これから少し詳しく調査結果についてご報告したいと思います。
1番目,こういう子どもたちを指導する先生方の日本語指導経験は1年未満から3年未満が多い。非常に短い期間指導されている。2番目,1人の子どもに対する日本語指導期間は1年未満が圧倒的に多い。何回かの指導経験はあっても,1人の子どもにどれだけ指導するかと聞きますと,大体1年未満。3番目,日本語指導を主に行っているのは,教育委員会からの派遣協力者やその他ボランティアの方が圧倒的に多い。4番目,指導の内容は,市販教材や学校の教科書を使った,平仮名,片仮名,漢字,簡単な表現,文法や文型が中心。5番目,従って,読み書きの指導が,会話を中心にした指導よりも多くなっている。子どもが教科学習で困難を感じる理由として,日本語能力不足を挙げる先生方が圧倒的に多い。その結果,教科内容で最も困難を感じる教科は国語と。さらに,保護者との連絡でも日本語によるコミュニケーションが課題だと言われる先生が多い。つまり,子どもとのコミュニケーションだけではなくて,親とのコミュニケーションも問題だということです。指導上,最も困難を感じるのは何かと伺ったところ,言葉や文化,習慣,考え方の違いといったことを挙げる先生が多い。そのため,最も重要な指導は何かと伺ったところ,日本語指導,生活適応指導だと答える先生が多い。これらの答えを聞いて,愛知県の先生方はいかがでしょうか。重なるところがありますでしょうか。
どうして先生方がこういう感想を持たれるのか,問題点を明らかにするためにまとめてみました。教師はJSL児童生徒の日本語能力不足こそ最大の問題であり,日本語さえできれば問題は解決されると考える傾向があるのではないか。2番目,これらの児童生徒を対象にした日本語指導の内容は,仮名や漢字の文字指導と読み書きが中心になっている。それから,3番目,これらの児童生徒にとって,育成されるべき言語能力は日本語の読み書き能力や書字能力であると考える傾向がある。4番目,指導期間が1年ほどと短くて,初期指導や適応指導に限定される傾向がある。5番目,コミュニケーションがとれないために,母語のできる協力者を求め,指導もそのような協力者に任せてしまう傾向がある。
私は今,小学校の国語の教科書をつくるプロジェクトに入っていまして,昨日の夜,会議がありました。これはJSLの子どもが対象ではなくて,日本の検定教科書ですが,やはり読み書きが中心になっています。8教科を教えないといけない小学校の先生は非常にお忙しいので,国語の教科書を使った授業展開はやはり読み書きが中心になる傾向があると伺いました。もしそうならば,JSLの子どもにもやはり読み書き中心の指導内容になるのではないか,ご自身が受けた教員としての訓練や小中学校で受けてきた言語教育の在り方が身についていて,それをモデルに再生産する傾向があるのではないかと思います。それは母語話者に対する国語教育なのですが,第二言語として学ぶJSLの子どもに対する言葉の教育にも重ねる傾向が感じられます。この問題は結構根深いのではないかと私自身は感じています。
全国的に見ても,書字能力,仮名や漢字指導が重要だと思われる先生が非常に多い。今のアンケート結果は宮城県のものですが,全国的に言えるのではないかと思います。私自身,東京でいろいろな学校を見て回りました。ある学校で取り出し指導を受けていた子どもは,漢字の勉強をしていました。毎回,漢字ばかり書いています。終わると,先生がカードを出して,遊ぶ。そして,子どもが落ち着いたら母学級へ帰す。取り出し指導の主要な指導内容が漢字で,果たして子どもの言語能力が育成されるのかと疑問に思います。それでも,そういうところに集中してしまっている現状があります。
また,ある中学校の国語の先生に,後でお話しするバンドスケールの話をしたところ,「その子のレベルは一番下の1ですよ。片仮名,平仮名が混在する。全くの初級レベルだから,1だ」と言われました。果たしてそうなのか。果たしてそれで言語能力が育成できるのかという疑問を持ちます。
日本語を母語としない子どもへの指導の観点
その次に,日本語を母語としない子どもへの指導の観点を考えます。ここまでハイスピードで来ましたので,ちょっとギアチェンジをして,ローにしたいと思います。次の内容に賛成の方はマル,反対の方はバツを入れてくださいという問題になっていますので,1~2分で答えていただけますでしょうか。
よろしいでしょうか。もう既に,隣の方と「答えはどうだ」なんておっしゃっている方もいらっしゃるようです。「私はこう思ったけど,あなたはどうですか」というような形で,どうぞご相談ください。
先ほど岡田先生から,愛知教育大学の学生の皆さんが現場に入って支援されていると伺いました。学生の皆さんも経験をお持ちだと思いますので,どうぞお答えください。
授業についていけないのは,日本語が不十分なため?
では,よろしいですか。振り返りをしてみたいと思います。A,授業についていけないのは,日本語が不十分なため。だから,日本語を教えてから教科内容を教えるべきだ。これにマル,賛成の方,挙手をお願いできますか。少ないですね。バツだという方。本当は理由を伺いたいのですが,どうでしょう。どうしてバツなんですか。どなたか。勇気ある学生の皆さん。
いろいろな考え方があって,意見が分かれました。日本語が不十分だから,教科内容にはついていけないだろう。だから,まず日本語を教えてからという考えもあると思います。確かにその部分もあると思います。一方で,教科内容を通じて,教科内容を学習しながら言葉を学ぶことも可能ではないかという考えの方もいらっしゃいました。後半のほうが少し多かったかと思います。「内容重視の日本語教育」という言葉のように,教科内容や学習内容を中心に置いて言葉の教育をしていくという考え方もあります。しかし,全く平仮名・片仮名が分からなければ,取り出して教えてあげないといけない場合もあろうかと思います。
日本語が覚えられないのは母語を使うから?
B,日本語が覚えられないのは母語を使うからだ。学校でも家庭でも母語を使わないように指導すべきだ。マルという方。バツのほうが多いですね。ありがとうございます。
マルの方は,日本に来たのだから,日本語をたくさん使うようにという配慮からではないかと思います。バツの方はいかがですか。母語を使うべきだということですか。はい,どうぞ。
参加者:全体を通すと10年ぐらい,主にブラジル人の子を教えてきています。ずっと子どもたちを見てきて思うのは,やはり子どもの生活の基盤は家庭なので,家庭でコミュニケーションがとれるということが一番大事だということです。やはり母語を尊重するという姿勢が必要ではないかと思いました。
ありがとうございました。今のご発言のとおり,家庭内で母語を使うということは,むしろ奨励されていいと思います。これは親とコミュニケーションできるようにという意味もありますが,別な見方をすると,母語を使った活動を通じて,母語が強くなり,言語の基礎的な根っこが育ち,日本語を学習するときにも応用できるということです。これはカナダのカミンズという人が示している二重の氷山,二言語相互依存仮説です。これは仮説ですが,母語で培った力が第二言語を習得するときも役に立つとよく言われます。母語を捨ててしまう減算的なバイリンガリズムではなくて,1つの言語にもう1つの言語を重ねていく加算的バイリンガリスムのほうが多くの方に支持されています。もちろん,これは仮説ですし,頭の中を割ってみるわけにはいかないのですが,いろいろなデータから見ても,やはり母語は大事で,母語の力が第二言語の日本語を習得するときにも役に立つということです。したがって,親御さんに「家庭では母語を使わないでください」と言うのは誤りだと思います。
最近では,東京でもそうですが,日本で生まれたり,幼児期に日本に来て日本語世界で大きくなった定住型の子どもが増えています。この定住型の子どもの場合,小学校に入る前に,お母さんが母語で読み聞かせをするといった言語的な活動を家庭で十分にやっているかどうかが,小学校に入ってからの言葉の習得にかなり影響していると思われるケースがたくさんあります。ですから,家庭の中で母語も使って,子どもに豊かな言語環境をつくることは非常に重要だと思われます。
あなたは○○国から来たんだから,○○人に誇りを持って生きていくべき?
それから,C,あなたは○○国から来たんだから,○○人に誇りを持って生きていくべきだ。これはどうでしょう。ちょっと言語から離れますが。マルの方はどれぐらい。バツの方は。ちょっと割れましたね。ご意見ある方,いらっしゃいますか。これについてはいろいろな意見の方がいらっしゃると思います。
例えば,日本で育っていて,母国が分からない。行ったこともない。行ったけども,日本語が強いので違和感を覚える。こういった子どもが実際に増えています。そういった子どもに「あなたの親の国は○○だから,あなたも同じ○○人の誇りを持って生きていきなさい」と言うのは,子どもにとって負担になるケースがあります。これはいろいろなケースがありますから,一概にいい悪いと言うのは難しいのですが,やはり子どもに寄り添った形で考えていかないといけないと思います。
また,アイデンティティの問題にもかかわります。アイデンティティは外にいる人が与えるものではなくて,自分自身で獲得していく,そういうアイデンティティ形成の見方も出てきますので,その辺もケースバイケースで考えていかなくてはならないと思います。
日常会話ができるのだから,在籍クラスで一緒に学ぶべき?
それから,D,もう日常会話ができるのだから,取り出しの日本語指導は必要ない。在籍クラスで一緒に学ぶべきだ。これはいかがでしょう。マル。この辺になってくると,だんだん慎重になってきますが。バツの方,どうでしょう。ありがとうございます。愛知県で実践なさっている方が非常に多いので,どうかと思っておりましたが,おっしゃるとおりだと思います。
日本語指導は非常に長いスパンで考えていかなくてはならないと思います。取り出し指導という形がいいのか,あるいは個別指導という形がいいのか,いろいろなケースがありますが,単に日常会話ができたからといって,教科学習を理解する力がついているとは言えないということがポイントです。
日本語指導の先生は日本語を,教科内容は担任が教える?
E,日本語指導の先生は日本語を教えてくれたらよい。教科内容は担任の私が教える。これはマルという方。バツの方。そうですね。大変心強い感じがいたします。
千葉県のある市で同じ質問をしたところ,意見が分かれました。ボランティアの方が「私たちの市では,ボランティアは教科内容を教えてはいけないことになっているんです。教育委員会と協定が結ばれているんです」と教えてくれたので,私はドキッとしてしまいました。子どもたちは,学校生活の中でいろいろな教科を学習しています。それなのに,この線からは教科内容だから教えないというわけにはいきません。つまり,分業作業のような指導は非常に難しいわけです。現実的には,両方の先生が言葉に力点を置きながら指導するべきだと思います。
この質問は海外の文献から取ってきました。「言語の先生は言語を教えてくれたらいい。内容は私が教えます」という考え方が,日本だけではなく,やはり海外にもあるわけです。そのような考え方は誤りではないかと思います。
今,お話をしましたことをまとめました。子どもたちの言葉の力は何なのか。あるいは,子どもたちに育成すべき言葉の力は何なのか。そのことが,やはりJSLの子どもを指導する上で,非常に重要なテーマになってきます。つまり,問われるのは私たち自身の日本語能力観ではないかと常々思っています。
子どもたちの言葉の力の把握から指導へ
では,レジュメの6番。子どもたちの言葉の力の把握から指導へということです。子どもたちの言葉の力を十分に分かって指導する以前に重要なことがあります。それは子どもが実際にどんな生活をしているか知ることです。
実際にどんな生活をしているか知る
先ほどの新宿での例ですが,不安定な生活の中で集中できない。学校に遅刻するし,難しくなると教室から出ていく。先生が「理科室へ行くよ」と言っても,逃げる。そんな子どもを,食事を出して,夜,泊めてくれる私立の施設に預けたところ,食事と睡眠がきちんととれるようになった。生活が安定すると,気持ちも安定して授業に集中するようになったそうです。ですから,私たちは子どもたちの生活まで知らないといけないわけです。
言語生活を知る
もう1つは言語生活を知るということです。その子どもが家でどんな言葉を使っているか。あるいは,兄弟でどんな言葉を使っているか。親と何語でコミュニケートしているのか。こういうことを知るのも非常に重要だと思います。
子どもと向き合う
3番目は,子どもと向き合うことです。指導が終わったら「はい,さようなら」ではなくて,1時間なり45分の短い時間でも,支援者の方が子どもとしっかり向き合って指導する。ここの質が非常に重要ではないかと思います。確かに,短い時間で指導できる部分は少ないかもしれません。しかし,自分のことを聞いてくれる人がいる。あるいは,分からないことを教えてくれる人がいる。そういう関係性が子どもを支えているのです。ですから,子どもと向き合うことがまず前提として必要だろうと思います。
日本語の力を十分に把握する
その上で次に重要になるのが,やはり子どもの日本語の力を十分に把握することだと思います。私たちは新宿区の教育委員会と協定を結んでいます。その協定に基づいて,私どもの大学院生が日本語教育ボランティアとして,学校現場に入って支援しています。
ある時,ある学校から「ぜひ来てほしい」と要請が来ました。タイから来た小学校3年生の女の子でした。その子は日常会話はきちんとできるんです。ペラペラしゃべれる。ところが,読めない書けない。3年生なんですが,平仮名・片仮名が混在している。何かを書かせようとすると嫌がる。読ませようとすると嫌がる。でも,話はどんどんするので,それまでは先生が気がつかなかったわけです。3年生で転校して,新しい担任の先生が受け取ったときに,そのことに気づいた。それで私たちに要請が来たのです。1年生2年生のときは,どうやっていたのか。多分,誰かのまねをして書いたりとか,何か分からなくしていたんですね。
私たちはその子どものことばの力を把握しました。「聞く」「話す」のレベルは高いのですが,「読む」「書く」は非常に低いというアンバランスな状況にありました。ずっと支援していまして,今,5年生になりましたが,それでもやはり読み書きが弱いという状況が続いています。もっと初期の段階で子どもの日本語の力が十分に把握できていたら,もっと違う指導ができたのではないかと思います。ですから,指導する場合に,一人一人の子どもの日本語の力を十分に把握することが必要になってくるのではないかと思います。
JSLバンドスケール
そこで,私たちが今,開発しているのが,JSLバンドスケールです。これは日本語の力を測る「ものさし」です。そこのレジュメにフレームワークが書いてあります。小学校の低学年,中高学年,中学,高校に分けてあって,4技能それぞれ,1が一番弱いレベルで,7,8が一番高いレベルになっています。各レベルの説明書きをして,日本語習得上の特徴や日本語を使用するときの特徴,誤用例,どんなふうに勉強しているかという学習者のストラテジー(方略)などが書いてあります。お帰りになるときに,各学校に1冊ずつお渡ししますので,ご覧いただきたいと思います。
今,お手元にB4サイズの両面刷りのものがあるかと思います。これはJSLバンドスケールの早見表です。JSLバンドスケールをたくさんの方に使っていただくための工夫としてつくったものですが,まだ開発途上です。
低学年のほうをご覧いただけますか。上にタイトルが書いてあります。小学校低学年。左から,「聞く」,「話す」。右に行って,「読む」,「書く」。こういうふうに並んでいます。上が1レベル,下が7レベルです。その中に,それぞれの特徴が書かれています。お忙しい先生方の目に止まりやすいように,特徴的なところをゴチックにしてあります。2面は中高学年です。
どうして小学校の学年別ではないかと思われるかもしれません。脳の発達の問題がありまして,大体小学校の低学年レベルまでが臨界期の前の段階です。中高学年で大体脳の発達が完成していく。中学・高校になると,その後の状況になる。そういう大きな枠組みがあるので,それにあわせた形で年齢集団をつくっています。
この基になっているのは,オーストラリアで使われているESLバンドスケールです。その内容を見たときに,日本で学んでいる子どもと同じような過程があると分かりましたので,海外調査と海外の文献を踏まえて,JSLバンドスケールを開発しました。
小学校低学年「話す」の場合
日本語能力の発達段階,小学校低学年「話す」の場合を読んでご説明したいと思います。ハンドアウトに大きく書いておきました。小学校低学年,話すレベル1は,初めて日本語に触れる一語文,二語文で意味を伝えようとする。「本」と子どもが言うと,「その本,見せて」「その本,読んでもいい?」というような意味合いで使っている,そういう例になります。レベル2は,あいさつなど日常的な習慣の言葉を使い始める。ジェスチャーや実物に頼ってコミュニケーションを行い,それを分かってくれる人と行動を共にする。レベル3は,二語文,三語文から徐々に自分の言葉で話しだす。身近なことについて,親しい友達や大人に話し掛けられる場合にはやりとりできるが,絵や話題になっている実物やジェスチャーに頼る。レベル4は,よく知っている日常的な場面で使われる日本語は理解できるが,時々支援が必要となる。1対1の説明を求めたり,繰り返しを求めたりすることもあるが,やさしい日本語で明確に筋道立てて手順ややり方が説明されれば理解できる。レベル5は,身近な話題であれば日常的に行われる主な教室活動に参加することができるが,学習場面において,複雑な内容を日本語で表現することが困難である。レベル6は,ほとんどの生活場面で十分に日本語を使えるようになる。ただし,意図を正確に表現することは依然としてやや困難である。学習内容で知らないことがあっても,内容や言葉をきちんと教えられれば,より複雑な考えが理解でき,表現できる。レベル7は,すべての生活場面,学習場面で,流暢かつ正確にコミュニケーションできる。日本語で正確な言い方を知らない場合にも対処できる。
日本語能力が徐々に上がっていくのがお分かりになると思います。このスケール,ものさしにあわせて,子どもたちの日常生活や学習場面を見て,「話す力が大体,3ぐらいかな。4ぐらいかな」というふうに見定めていきます。
大久保小学校での調査
このJSLバンドスケールを使って,先ほどご紹介した大久保小学校で調査をしました。取り出し指導を受けている子どもたち,約40人の日本語能力を測る調査です。後ろの方は少しご覧になりにくいと思いますが,左側に1年生,2年生,3年生,4年生,まだこの下に5年生,6年生があります。記号は子どもの記号で,性別があって,出身。フィリピン,中国,タイ,アメリカ,ロシアなど。その右側のほうに,「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能がありまして,それぞれJSLバンドスケールの数値が書いてあります。この子どもたちは取り出されているわけですから,先生方は指導が必要だと判断した子どもたちです。
私たちはこの調査を一昨年にやりまして,大変驚きました。というのは,当然ながら,3レベルや4レベルの子どもたちが多いのですが,5レベルから6レベルという子も取り出されていたからです。日本語指導や日本語教室があるほかの学校では,大体3から4になると取り出しをやめて在籍学級に帰しますが,大久保小学校では,5から6でも取り出していることが分かりました。
なぜレベル3から4になると在籍クラスに戻すかというと,日常会話ができるようになるからです。先ほどのJSLバンドスケールの話すレベル3,4をよくご覧いただければお分かりになると思います。この段階になると「もういいか」と在籍クラスに戻してしまう傾向があります。
大久保小学校は1学年1クラスですから,よく見えるのかもしれません。先生方が経験的に「この子はまだまだ言葉の力が弱い。だから,授業についていけない。みんなと一緒にできないんだ」と思われて,5から6でも取り出しているという事実があります。こういうこともJSLバンドスケールを使うことによって分かってきます。
これは私たちが学校側に示した報告書の一部です。上から「聞く」「話す」「読む」「書く」という4技能があって,上が学年。名前は伏せてあります。このブルーのほうには,その子にどういう特徴があるか,JSLバンドスケールの記述で示しています。こちらのグリーンのほうは,私たちが授業観察をさせていただいたときにとった記録です。先生とのやりとりや子どもの発話・態度,左側のJSLバンドスケールの内容に相当する子どもの表現を書いています。こういうのを一人一人つくって,先生方に示して,「この子の日本語の力は大体こうじゃありませんか」ということを説明しました。これによって,小学校の先生方は子どもの力を把握することができたのではないかと思います。
日本語指導の3つの観点
こういうJSLバンドスケールで「まだこの子の話す力はレベル3だな」「この子の読む力はまだレベル2だな」と分かりますが,JSLバンドスケールをつくった目的は,子どもの日本語の力を把握することだけではありません。把握した後に,どんな指導をしたらいいかを考えていくことが目的です。従って,日本語を指導していく場合の3つの観点をご説明します。
個別化
まず1つは,個別化です。子どもに応じた指導を心掛けなければならないというのが第1点です。これは非常に難しいことです。今度,GPで教材開発をされるということで大いに期待していますが,共通の教材をつくることは非常に難しいのです。子どもの背景が違う。あるいは,言葉の力が違う。国によって既習内容が違う。同じ2年生といっても,さまざまな個性なり,個人的な事情があります。従って,指導していく上で非常に重要な観点は個別化ではないかと思います。
先ほどを言いましたように,私の研究室では,大学院の授業の一環で,日本語教育ボランティアとして現場に入っています。そして,週に1回は大学院の授業の中で,自分の指導している子どもの状況,こんな教材でこんなふうに指導していると報告し合い,全員で議論する機会を持っています。
その中で感じるのは,一人一人の子どもによって必要な支援が違うということです。やはり個々の子どもに応じた指導を考えていかないといけないと思います。大人の日本語教育ですと,初級の教科書を1課から順にやっていくことも可能だと思いますが,子どもの場合はそれが難しい。それから,そのときに重要なのが,レジュメに書きましたように,「対話」ということです。
文脈化
もう1つは,文脈化です。子どもが学んでいくときの文脈をつくってあげることが非常に重要です。「これは本です」といった文型を「教える」ことを,日本語教育では文型を「入れる」といいますが,文型を入れるだけではなかなか言葉を使っていく力がつかない。やはり何か文脈をつくってあげることが必要だと思います。
文脈をつくるために必要なのは,スキャフォールディング(scaffolding),足場かけです。家を建てるとき,足場をつくって,家ができると足場を崩します。ああいうもので,子どもの力が足りないときは,足場をつくってあげる。子どもに力がついて成長してくると,足場は自然と外れていく。それは指導者がリードするものではなくて,実は,子どもが指導者に対して足場かけを要求してくるのです。それに気づくかどうかです。指導者は,子どもが要求している足場かけをキャッチして,やりとりする中でそれを与えます。子どもは自然にそれを習得すると,大人にお礼を言わずに,「もうそんなの分かってる」とパーッとどこかへ行ってしまう。つまり,子どもは足場かけを大人や支援者に要求し,それができるようになれば,何とも言わずにそれを放棄していく。足場かけをけ飛ばして出ていく。それが自然なのではないか。そういうものをつくってあげること,そういう足場かけが必要です。これはヴィゴツキーがいう最近接領域と同じです。その子が一番伸びる,その子が必要とする部分があって,その部分が上に上がれば,またさらに上に上がっていく。足場かけをつくってあげることと一致します。
足場かけのバリエーションとして,例えば絵を描いてみる。これも1つの足場かけです。分からないことがあったら,絵を描いてみる。あるいは,その子が分かるだろうと思われる言葉で言い換えてあげる。あるいは,途中まで言いかけて,あとは考えさせる。あるいは,「分かってるんだったら,ちょっとやってみてよ」と動作化を促す。あるいは,「ほんとに,あなた,分かってるの?」と具体的に発問する。あるいは,「あなたもこんなことをしたことがあるでしょう? そこから考えてごらん」と体験から引き出す。あるいは,「ここができたんだから,もう大丈夫。次のこともやれるよ」と励ます。
これらは皆さんが日ごろやっていらっしゃることだと思います。そういうものを幾つか持った上で子どもの指導に当たることが必要だと思います。これが文脈化です。文脈化については,まだまだ奥が深いので,後でまたビデオをお見せしたいと思います。
統合化
3番目が統合化です。統合化というのは,先ほど言いました内容重視の日本語教育と重なりますが,言葉と内容を結び付けてあげることです。既に出ているJSLカリキュラムの小学校編をつくっていたときに,東京港区のある小学校の授業を見学しました。月の満ち欠けを子どもに理解させる授業です。バレーボールの白い球を棒の先に固定します。部屋を暗くして,片方から光を当て,移動すると,影になるところが出てきます。「これを動かしたらどうなる?」と先生が発問したときに,ロシアかどこかから来ていた子どもは口で言えなかったのですが,手でこうなると表したのです。要するに細くなっていくといいますか,満月がだんだんと三日月になっていくということを言いたかったんだと思います。そのときに,先生が「そうだね。だんだん細くなるんだね」と言うと,文脈の中で内容と言葉が一致して,子どもにストンと入っていく。言いたいことがあって,そのことが与えられた言葉でピタッと合わさって,子どもの中に体験として残っていく。こういうのが言語教育で非常に重要な観点だと思います。「これは本です。あと,漢字ね。次までに5個覚えてきなさいよ。今度テストするからね」というやり方だけだと,子どもは習得できないと思います。言葉と内容を一致させていくことは,JSLカリキュラムの基本的な考え方ですので,また詳しく説明することがあると思います。
この3つの観点は最低限必要なことで,これにプラス段階化というのがあります。小学校の先生方や中学校の先生方は,教科内容がどう発展していくかをご存じだと思います。今,これをやっておくと,将来,半年先にはこうなる。こういうことを学ばせたい。こういう段階化があると思います。そのことを考えながら教えていかないといけない。ボランティアの方ではなかなかそこまでは分かりにくいかもしれませんが。長期にわたる支援という足場かけ,マクロなスキャフォールディングと,それから,目の前にある教材,課題を解決するための足場かけ,ミクロなスキャフォールディング。この両方の視点から指導することが非常に重要になると思います。統合化の一番最後に書いた,意味のある文脈で子どもの発言を引き出すことが,言語教育の中で非常に重要な部分だと思います。
事例
私どもの学生は大久保小学校だけでなく,中学校でも観察させていただいたり,先生方のお話をお聞きしたりしています。昨年,神奈川県のある高校から「調査に来てほしい」という依頼を受けました。院生を連れて,昨年の9月に1カ月間,その高校に入り,JSLの高校生の言語能力をJSLバンドスケールで測りました。今,画面に出ている1年生から3年生の子どもたち,14名です。これはレジュメには書いてないので,スライドをご覧ください。
生徒番号1の子は,「聞く」「話す」が大変高くてレベル7から6ですが,「読む」「書く」がレベル4から5。単文を並べて会話し,人の話を引用する形で状況説明したりする。それから,複文を使った論理的な説明は不得意。そして,聞き手に文脈的に依存した会話をする。これはどういうことかというと,半分まで言いかけて,聞いている側が「あ,それはこうなの?」と合いの手を入れると,「うん,そう」という形でやりとりが進み,自分は文章を全部完成できない。そういう特徴が見えました。
この子どもは1歳で来日しています。もう15年以上,日本に住んでいます。家庭内言語はスペイン語。ただし,母語力が非常に弱い。われわれがキッチンランゲージと呼ぶ,自分の家庭でしか使えない母語の力ですが,それが弱い。母語であるスペイン語で読んだり書いたりできないということがあって,「読む」「書く」が弱いため日本語が伸びない。そして,日本語の指導も受けてこなかった。
生徒番号5の子は,「聞く」「話す」がレベル4で,「読む」「書く」がレベル3。高校でも授業についていけないレベルだと思います。この子どもは中学2年生で来日しています。一般的に,小学校の低学年で来日した場合は,母語が完成されていないので日本語の吸収は速いのですが,母語の力が弱いためになかなか伸びない。ところが,中学生ぐらいまで母国で母語で公的教育を受けると,母語で考える力があるので,中学校になって来日した場合は,日本語と母語のスイッチをするだけで,つまり,ラベルを張り替えるだけで言語の力が伸びていく。いろいろな文献にそうありますし,私たちもそう思っていました。ところが,この子は中学2年生で来日しているにもかかわらず,非常に弱い。これは問題ではないかと思います。
そこで,この子の会話をテープ起こしして,どういう文章を言っているか,特徴をずっと洗ってみました。ほとんどが真ん中のライン,ブルーのラインですが,これは一語文です。われわれとの会話が一語文でずっと続いていって,複文がほとんど出ない。接続詞が使えない。
母国で,母語による教育がきちんとあったのかどうかを疑っていかないといけないし,中学2年生で日本に来たときに,きちんとした日本語指導があったのかどうかも考えていかないといけない例ではないかと思います。これはずっと続いています。
このように,日本に生まれて15年以上,日本にいるし,会話も全然問題がないから大丈夫だという子でも,「読む」「書く」がレベル4から5とか,あるいは,中学生で来て,何とかやっているからいいだろうという子でも,実は日本語の力が弱いケースがあります。非常に長いスパンで考えないといけないという重要な結果ではないかと思います。
私たちがこういう子どもたちの言語能力を測っていくとき,まず,日本語能力をどうとらえるかを考え,日本語能力を把握する方法を考える。それから,どう教育実践をしていくかという方法論を考える。こういうことになろうかと思います。
把握から実践への方法論
複数視点による言語能力の把握
そこで,方法論としては,複数視点による言語能力の把握です。先ほどB4サイズ両面刷りのJSLバンドスケールの概要をご説明しましたが,授業をやっている最中に時々これを見て,担任の先生が「あ,この子はレベルの4かな,3かな」と判断するのは無理です。先生方は授業をやっていらっしゃるわけですから,無理です。ほかの先生が見るとか,誰かがビデオを撮っておくとかして,授業の後で「あのときのやりとりから見て,この子の力はどれぐらいなんだろうね」と複数の先生方で話し合うほうがいい。複数視点による言語能力の把握,これが重要です。
非常に簡便なやり方を求める傾向があります。私たちが学校を回ると,「この子の日本語能力を測るテストを早くつくってください」と言われます。テストの結果が何点だからこれぐらいの力というふうに測りたいと言われますが,それは無理です。いろいろな意味で無理なんですが,後でお話しします。
言語能力の特徴は,動態性と非均質性と相互作用性です。まず,動態性というのは,言葉の力が動いているということです。これはレジュメのほうにも書きましたが,言語能力は,ペーパーテストで測れる一回性のものではなくて,常に変化しているということです。恐らく皆さんの日本語の力も,あるところではすごく発揮されるが,あるところではあまり発揮されないということがあるのではないかと思います。
それから,もう1つは,場面や状況に応じて出てくる能力が必ずしも同じではないという点です。日本語指導を受けているクラスでは活発に話すけれども,母学級に帰ると黙ってしまうこともあろうかと思います。そういう非均質性がある。あるいは,先ほど言いましたように「聞く」「話す」は高いけれども,「読む」「書く」が弱いとか。だから,言語能力は一枚岩のようなものではなくて,非常に立体的で多様性のあるものだという理解の仕方が必要かと思います。
それから,もう1つは相互作用性です。言語は,話される目的と相手との関係性によって決まってくるという点です。
したがって,このように動く言語能力を1人の先生が見ることは無理なので,複数の先生方で把握していくことを考えたほうが得策であろうと思っています。
言語能力の協働的把握
そこから実践を考えてみます。このスライドは大久保小学校の場面ですが,右側にいる白いジャンパーを着ている方が担任の先生で,紫の方が校長先生,そのそばが音楽の先生,一番向こうが非常勤で週に何回かいらっしゃるスクールカウンセラーの方です。左側の奥の先生が日本語クラスの担任の先生で,私がいて,こちらには大学院生がいます。先ほど示したような資料を見て,一人一人の子どもの日本語の力について話し合って,それに基づいてどう指導したらいいかを協議しているところです。
こういった一人一人のファイルをつくって,その子の作文や記録を入れていきます。左側にあるのはJSLバンドスケールのチェックリストです。後で見ていただければ分かりますが,JSLバンドスケールの一番後ろにチェックリストがあるので,それをコピーして使っています。2年生であれば,こういうふうに一人一人のファイルをケースに入れて,職員室の中に置いて,誰もが見られるようにしてあります。
これは何をやっているかというと,言語能力の協働的把握です。つまり,「私はこう思う」「いや,私はこう思う」というふうに,複数の視点から一人一人の言語能力を測っていくという実践です。そこから,私たちがどういうふうに指導していくかという協働的な実践が出てきます。日本語を指導するのは日本語の先生,教科内容は私が教えますというふうに分けるのではなく,協働的な話し合いの中から,言葉に力点を置いた学校全体での支援の仕方が生まれてくるはず。それは個々の学校の置かれている状況,子どもの様子によって違うはずです。ですから,私がここに来て,こういうふうにと示すことはできません。むしろ,現場にいる先生方が協働的な把握,協働的な実践を立ち上げていくことが重要だと思います。
JSLバンドスケールを使うことによって,複数支援者による協働的把握が可能になります。クラス担任,日本語の先生,協力者などを巻き込む形で行うことができるし,子どもの日本語能力の把握,共通理解,第二言語能力の把握に有効です。日本語を母語とする子どもの日本語の力,国語の力とは違うという視点で協議を進められるという意味で,第二言語としての日本語能力の把握に有効です。従って,協働的把握から協働的実践へ導く可能性があるということです。
すぐれた事例
最後になりましたが,ビデオをもう1本お見せしたいと思います。オーストラリアのESL,英語を母語としない子どもたちに対する小学校の実践です。ここにいるのは全員,英語を母語としない子どもたちです。
これは何をやっているか分かりますか。これは小麦粉なんです。小麦粉に水を入れて,こねて,子どもたちにそれぞれ与えていきます。これは遊んでいるのではなくて,授業です。左側にいる先生は英語を第二言語として教える専門家です。子どもたちがどんどんいろいろな発話をしています。先生は,ネイティブ並みのスピードで作り方を説明しています。これから,一人一人がそれをもらって,形づけていきます。粘土細工ではなくて,ここから火山をつくっていきます。男の子の前にある紙は前の時間につくった火山の設計図で,それを見ながらつくっていきます。この箱の中に火山をつくって,オーブンで焼くんです。これはうちの学生たちです。だんだんのってきて,あそこの中にいろんなものを形づくっていっています。「volcano」と言っていますが,それを学習しているところです。これはまだ延々と続きますが,長くなるので。
ESLの先生は,メインストリーム,つまり,母学級でどういう学習をしているかをちゃんと分かった上で,教科内容と関連させながら子どもたちが楽しく学べるように指導しています。そういうノウハウをいろいろ持っていらっしゃいます。子どもたちは,自分の書いたものを読みながら,自分のvolcanoをつくっています。これが先ほどお話しした文脈化の1つの例です。一番最初に大久保小学校のビデオで見ていただいたように,「これは本です」と文型を入れるというオーソドックスな形ではなくて,活動の中で必要な言葉を使っていく,あるいは,子どもが言いたくなるという状況をつくっていくのが文脈化です。JSLカリキュラムもコンセプトはこういうことをイメージしています。
まとめ ― 数を力に
最後にまとめですが,JSLバンドスケールは単に言葉の力を測るものさしではなくて,これを使うことによって,協働的な把握から協働的実践を考えていくきっかけになる。そのことと同時に,日本語指導が必要な子どもたちは誰なのかを私たちが考えていくことになるのではないか,つまり,私たちが持っている言語能力観を再構築していくきっかけになるのではないかということです。
最後にお願いがあります。なぜ文部科学省が発表している日本語指導が必要な外国人児童生徒の数が毎年1万9,000人なのか。ほとんど微動です。なぜなのか。それは,レベル3から4になると,もう指導が必要ないと思われて,先生方がカウントしないからなのです。でも,今,見ていただいたとおり,高校生でもまだまだ指導が必要です。そういう子どもたちが1万9,000人以外にたくさんいるということです。
オーストラリアのクイーンズランド州では,ESLの子どもが小学校に入学するときは5年間,小学校から中学校にまたがる場合は7年間,ESLの指導を受ける権利があります。
先ほどの宮城県の調査でも分かるように,今,現場で指導されているのはほとんど1年未満です。1年あまりの子どもたちは力がつかないまま手放されて,在籍クラスの中に混ぜて教えられています。言語指導という意味でいえば,放置されているという状況です。
オーストラリアの専門家にこういった日本の状況を話すと,「急がないと手遅れなりますよ」と言われます。後で取り戻そうと思っても,根幹にある言葉の力が弱くなっていて,そこから伸びていかなくなるのです。
オーストラリアの小学校には,レフュジークラス,つまり難民のクラスというのがあります。これはアフリカなどから来た黒人の子どもたちのクラスです。実際に,公的な教育を受けられないまま難民キャンプを転々とした後,小学校5~6年生になってオーストラリアに来た子どもに英語を教えようとしても,定着せずに英語が抜けていってしまいます。それが手遅れになるという例です。
文科省がいう1万9,000人の子どもは,JSLバンドスケールでいうところのレベル3か4辺りで,新陳代謝のようにどんどん入れ替わっています。新しく来た子は指導が必要だと考えるけれども,1年ぐらいたって,「まあ日常会話ができるようになった」と思うと,カウントしなくなる。ですから,1万9,000人の数は横ばいです。ところが,そこを通過したけれども,レベル3とか4,5ぐらいで停滞している子どもたちはたくさんいるはずなのです。
オーストラリアでは,レベル7の子,ほとんど英語母語話者に近いレベルの子どもたちも数えています。「レベル7は母語話者に近いので,どうやって指導するんですか」と聞きましたら,校庭で遊んでいたりするときに,「最近どうだ? 分からないとこはあるか?」と1週間に1回ぐらい声をかけて,大体5分ぐらい話す程度だというのです。たったそれだけで,指導にもなっていないようなレベル7の子どもも数えているのです。
今日は教育委員会の方もいらっしゃっていると思います。もしこういう子どもたちの教育を根本から改善しよう,あるいは,そのための政策をぜひ政府のほうでやってほしいと願っていらっしゃるなら,皆さんもそうだと思いますが,文科省に「日本語指導が必要な外国人児童生徒の数は何人ですか」と聞かれたときに,JSLバンドスケールのレベル7の子まで全部数えて出していただきたい。
1万9,000人が10万人になると,確実に政策が変わると思います。支援が必要な子どもたちが全国に10万人いるとなったとき,政府は動かざるを得なくなります。そうすると,例えば愛知教育大学でそういう教員を養成しましょうというような法律が出てきます。愛知教育大学でいくらそうしようと思っていても,法律ができない限りそうなりません。
教員養成大学の中にそういう教員用の研修会を設ける。あるいは,教員養成で学生が学ぶときに,そういう科目を設ける。あるいは,現場にいる先生が「大学に戻って,1年間訓練を受けたい」と言った場合に受けられる。そして,現場に帰って,専門的知識を持ちながら,子どもたちを支援する。もちろん,小学校の免許や中学校の免許を持っていながらです。そういう一連のプログラムを定着していきたいと思っています。でも,今の法律ではできないのです。
文科省のJSLカリキュラムの対策をするところは,課長さんがよく代わります。これはしょうがないです。代わった課長さんがあいさつに来られて,私たち専門家に「今,日本語指導の必要な子どもたちが全国で1万9,000人ぐらいいるんです」と説明されます。私たちはそんなことも百も承知ですが,課長さんはどんどん入れ替わるので,部下から言われた1万9,000人を信じているわけです。部下はその調査を変えられない。なぜなら,前からずっと行われている調査だから。
だったら,その調査を利用しようというのが私の考えです。調査結果を報告するときに,レベル3,レベル4で切らないで,レベル4,レベル5,レベル6,レベル7の子どもを全部数えて,うちにはこれだけの子どもがいますと言っていただきたい。逆に,「指導しているんですか」と問われたら,「いや,今の現場ではとてもできないんですよ。だから,行政的に支援が必要なんじゃないですか」と言っていただきたい。つまり,数が力になるのです。
だから,今日のテーマでも書いたように,日本語指導が必要な子どもは誰なのか。この共通認識を持っていくことが,JSLの子どもたちの教育を変える一番の道ではないかと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
質疑
司会:ありがとうございました。非常に密度の濃いお話でした。普段接していらっしゃる子どもさんの顔を思い浮かべながらお聞きになられたかと思います。
この講演自体は4時半に終了ですが,その後,先生をお囲みして,もう少しカジュアルにいろいろなお話ができるような席を隣の部屋に設けております。後でご案内いたしますので,お時間のある方はぜひそちらにもいらしてください。
この場で質問したい方がいらっしゃれば挙手をお願いしたいと思います。時間が少し押していますが,お一人かお二人ぐらいでしたら可能かと思います。いかがでしょうか。ございませんか。
会話力テストとの違い
参加者:稲沢から来たカトウと申します。お聞きしたいことは,中島和子先生がつくられたOBCの会話力テストとの違いについてです。先生のレジュメの9番のところがOBCテストとの違いととらえてもいいでしょうか。そのことについて教えてください。
川上:ありがとうございました。OBCというのはこういう子どもたちのための言語能力,特に口頭能力表現を測る方法論ですが,重なるところはあるかと思います。ただ,私たちは4技能全体を考えています。そこのところがちょっと違うかと思います。中島先生も口頭能力と読む力・書く力を関連づけた相互的言語観をお持ちだと思いますが,多分入り口がちょっと違うと思います。
私たちは4技能を全部バラバラな能力とは考えていなくて,1人の中にそれらが統合されていると考えています。例えば,民主主義という言葉を聞いたとき,皆さん,頭の中にどんな文字が浮かびますか。多分,漢字だと思います。漢字を知っているから,音として民主主義と聞いたときに,頭に漢字がイメージされる。この例が示すように,書く力と聞く力はリンクしていると思っています。われわれのアプローチの仕方は,4技能から言語能力を見ていこうというやり方です。
司会:ありがとうございました。そのほかに何かありましたら。
危機感を持ってもらうには ― 学力観の再構築
参加者:半田から来たイシハラといいます。お話の中で,オーストラリアのようにレベル7まで数えていかないと手遅れになると言われましたが,現場の小学校では,「日常の会話ができれば十分やっていけるよ。勉強が分からなくても,もっとできない日本の子どももいるんだし,これで十分,十分」と言われます。その手遅れになるという危機感を現場の先生方に持っていただけるように説明したいので,そこのところをもう少し具体的にお願いします。
川上:ありがとうございます。それをもう少し具体的に示したいと思っていまして,高校の調査をお示ししました。来日15年ぐらいで,ほとんどコミュニケーションに問題がない高校生でも,書く力や読む力は非常に弱い。これが1つの例だと思います。日本に長くいさえすれば,言語の力が右肩上がりで伸びていくのではなくて,やはり指導をしていかないといけません。
今日は触れなかったのですが,JSLバンドスケールのレベル5は1つの壁なんですね。皆さんの中にも,外国語を使ったり,外国に行って生活をなさったことがある方がいらっしゃると思いますが,ある程度コミュニケーションできるようになると,そのレベルで横ばいになるんです。それ以上難しい単語は使わないで,自分が持っている単語や表現の仕方でコミュニケートしてしまう。それ以上の難しい表現はやはり勉強しないと駄目なんです。教わらないと駄目なんです。だから,レベル5のところでずっと停滞する子ども,あるいは,停滞しているように見える子ども,あるいは,そこに長くとどまっているように見える子がいる。
小学校から中学校,中学校から高校へと上がっていくときに,レベル5だと授業についていけません。授業についていっているように見えるのは,何とかうまくやりくりするストラテジー(方略)のせいではないかと思います。その子が日本語の力や母語の力で十全とコミュニケーションして,自己実現を図れるかどうか,非常に心配になるところです。一人一人の子どもの言葉の力を把握していかないといけないと思います。
今日は紹介できませんでしたが,中には7レベルの子もいます。その子は家庭内でもいろいろなソースを使って勉強していて,漫画を書いたり,ストーリーをつくったり,そんなことができるぐらいの力を持っています。クラスでもリーダー的で,日本人の子どもにも教えてあげるぐらいの力を持っている子も中にはいます。一方で,まだまだ力が弱い子もいます。
日常会話ができるというだけでは,十分に伸ばすことができません。まず,言葉の力を測って,必要な力を先生方が指導していくことが必要ではないかと思います。それはやはり協働的実践,今日も話しましたが,言語能力観を再構築していくという活動です。先生方が持っていらっしゃる国語の力を一回壊して,もう一回つくり直していく。特に,第二言語を学んでいる子どもたちの言葉の力とは何だろうと考えていくことが作業として必要だと思います。
もう1つは,国語の先生や日本語の先生だけではなくて,理科の先生や家庭科の先生も音楽の先生も,みんながそれをやっていかないといけないということです。そこの中から,私たちの学校でどういう教育実践をしていったらいいのかを考えていくことが必要です。
今日,お話があまりできませんでしたが,これは学力観につながります。今,大久保小学校で依頼されて,来年度一緒にやりましょうと言っているのは,学力観の問題です。一斉にテストをして,学校間格差の結果を公表していくという流れが一方であります。先生方も多分危機感を持っていらっしゃると思いますが。そこに出てきた数字が学力なのか。もっと違う,その子が持っているさまざまな能力や可能性を見届けながら,それを伸ばしていくような指導をするべきではないかという議論があると思います。学力観は一体何かということについても,このJSLバンドスケールの実践を通じて,先生方が一人一人考えていくようになるはずです。
言語能力の協働的把握から協働的実践。そのことが学力観の再構築につながっていくはずです。それは1人ではできない。1人の先生だけでは大変です。学校ぐるみで,学校の先生方みんなで協働で,子どもたちに必要な力は何かを考えることによって,教員養成,教員研修になります。それは,われわれ一人一人が持っている言語能力観をつくり直していくことになります。それが学力観のつくり直しにつながっていくと思います。ちょっと話が飛びましたが,そういうことです。
司会:ありがとうございました。ほかにもご質問があるかと思いますが,少し時間も延びておりますので,いったんここで締め切らせていただきたいと思います。あらためて川上先生に拍手をお願いいたします。(拍手)
ご連絡を2点ほど申し上げます。1点は,先ほど申し上げましたが,隣の部屋に簡単な茶話会の場所を用意しておりますので,時間がおありの方はぜひお残りになって,川上先生といろいろお話しいただければと思います。
それから,もう1点,受付のところでお配りした資料の中にA4のアンケートが1枚入っていると思います。ぜひそちらのほうもご記入いただきまして,お帰りの際に受付の者にお渡しいただければと思います。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。