JSL児童生徒のアイデンティティを考慮した指導 ― I市にあるペルー人学校での日本語指導を通じて

坂田麗子[紹介

はじめに

JSL児童生徒の日本語指導に関わる教師や講師にとってJSL児童生徒のアイデンティティを配慮することは必要な項目である(縫部1999,猪熊・高田2004)。これはJSL児童生徒において,アイデンティティの確立が困難な現状があるからである。学校や学級での日本人児童生徒や教師の態度,異質な日本の学校文化や母国とは異なる教科学習はJSL児童生徒に大きな影響を与えており,JSL児童生徒は心理的安定とアイデンティティ確立を脅かす心理的環境にあると言える。のみならず,JSL児童生徒のアイデンティティの確立を困難にしているのは,日本の学校社会だけではなく,日本社会全体やJSL児童生徒の家庭,それにまつわる地域社会にもあると言える。

このような広範囲に渡る要因が浮上している中,日本におけるJSL児童生徒の教育においては言語習得の課題に焦点が集まりすぎ,中等教育レベルの生徒たちの自己アイデンティティに関する研究はまだ十分とは言えない(川上2002)。また,アイデンティティの確立が重要であることばかりが先走りして,具体的な方法がしっかりとうち立てられていないのも事実である。そしてその方法は実際のところ現場にゆだねられてしまっている。

このような現状から,JSL児童生徒と接する機会の多い担任や日本語教師,日本語ボランティアが,JSL児童生徒と関わっていく中で,アイデンティティ形成においてどのように配慮していく必要があるのだろうか。それをJSL児童の中でも,日系人や中国帰国者,在日韓国朝鮮人,親の国際結婚によって生まれた子どもといった日本人と容姿が似ているJSL児童生徒に視点を置いて考えていきたい。なぜならば,見かけが日本人と似ているということは,自他ともに同化への過剰期待を生み,言語や文化の習得が果たしきれない場合には,「中途半端な日本人」のイメージにつきまとわれ,「境界人」の心性に悩まされていることになり(関口2003),その結果アイデンティティの危機に陥りやすいためである。

したがって,本稿では,2003年3月から筆者が日本語指導を行っているI市のペルー人学校での実践を通し,JSL児童生徒のアイデンティティを考慮した対応策を考えていくことを目的とする。

1.アイデンティティとは

JSL児童生徒は,大半の時間を日本の学校社会の中で過ごし,アイデンティティを形成している。その過程の中でJSL児童生徒は,自分は一体何者なのかを個人的アイデンティティと社会的アイデンティティの狭間で模索していく。個人的アイデンティティとは,性格や能力など内的属性の点から,自分という個人が他者とは異なる存在であると理解することで,社会的アイデンティティとは,自己と所属集団を同一化し,所属集団の一員として自己を理解し行動することである。このことからJSL児童生徒の環境から自己と所属集団を一致させることの難しさが予想できる。

ベリー(1997)は,マイノリティの文化受容の戦略を,自らの文化的アイデンティティ(※1)の保持と周囲との関係で以下の4つに分類している。

  1. 統合:文化的アイデンティティの保持がされたまま,異文化集団との関係が良い状態
  2. 同化:文化的アイデンティティが放棄され,異文化集団との関係が良い状態
  3. 離脱:文化的アイデンティティの保持がされているが,異文化集団との関係が良くない状態
  4. 境界化:文化的アイデンティティが放棄され,異文化集団との関係も良くない状態

JSL児童生徒にアイデンティティの葛藤が大きく見られるのは,(※2)の同化にあたり,表出の例として通名の使用,人へのふるまい,容姿や服装などが考えられる。これは,日本の学校という異文化集団で疎外されないように自らのアイデンティティを押し殺している状態である。また,(3)の異文化集団になじむことができない場合や,(2)の文化的アイデンティティが放棄され,異文化集団との関係も良くない場合など,このような苦痛によってJSL児童生徒は,自己否定,学習動機の低下,家族とのディスコミュニケーション,人間関係の断絶,不登校,非行,犯罪などを引き起こしている。

特にアイデンティティの喪失に関しては,日系人や中国・韓国系の児童生徒など,身体的に日本人と変わらない児童生徒によって陥りやすい(長江2003,大橋2004)。長江は,自らの日本語使用と中国語使用を経歴で対照しながらアイデンティティを分析し,その時の言語の使用頻度によって,アイデンティティが大きく影響することを述べている。関口(2003)は,見かけが異なり,考え方が同じJSL児童生徒と,見かけが同じで考え方が異なるJSL児童生徒は,見かけと中身が一致しないズレが,「よそもの」扱い,ないしは「無知」扱いされることに繁がり,主流社会との関係性を不安定なものにすると言う。このように,アイデンティティと言葉は非常に密接に関わっている。

2.I市におけるペルー人学校の子どもとアイデンティティ

2.1 I市のペルー人学校

I市にあるペルー人学校は,帰国時に母国の学校システムにスムーズに再適応できることを目的とし,2000年に設立された。ペルー人学校には,日本の公立学校を卒業してくる子どもや,日本の公立学校を何らかの問題を抱えて断念してくる子ども,そして日本の学校に通わず直接転入してくる子どもと様々な背景の子どもが通っている。現在,5歳から19歳までの約25名の子どもたちが学校で学んでいる。カリキュラムはペルーのカリキュラムに準じており,基本的に通信教育の教科書を使用しているが,その他様々な教科書も併用して使われている。教員はセクンダリアと呼ばれる中学部(2)を担当する校長先生と,プリマリアと呼ばれる小学部を担当する先生,そして日本語を教える筆者の3人になるが,小学部の先生は問題児の存在や学校の財政的理由から短期間で止めていくケースが多い。教育環境は日本の公立学校と比べ,格段に劣っており経営的にも非常に厳しい状況である。

2.2 ペルー人学校に通う子どもたちのアイデンティティ

2.2.1 大半の子どもたちの場合

筆者による日本語の授業は,2004年3月現在,週に一回一時間半程度で,小学部と中学部のふたつに分けて行っている。子どもたちの日本語のレベルや日本に来日した背景は様々である。子どもたちは自分たちを「日本人」と認識していない。むしろ日本人を異質なものとして捉えている。彼らはスペイン語を自分の母語とし,日系人であるにもかかわらずペルー人である意識が強い。したがって,日本語の授業では,日本語を自分たちの言葉というよりは,むしろ外国語として学んでいる。日本社会に暮らしている多くの彼らは,ペルー人コミュニティの中で自己アイデンティティを侵されることなく,比較的安定された中で形成している。

しかし子どもたちの中には,長い期間日本の公立学校の社会や文化,教科に苦しんだ経験を持ち,日本の公立学校とペルー人学校双方において適応することができなかった子どもがいる。

2.2.2 Hの場合

2003年11月に日本の中学校からペルー人学校に転入したHは,小学校から中学2年まで日本の学校で過ごした。Hは日系3世で名前も日本名であり,日本人に見えるといえば見える顔立ちをしていた。ペルー人学校では,授業において日本語の授業以外全教科をスペイン語で行っているが,Hはスペイン語で授業をうけるだけのスペイン語を理解していなかったことから,Hのみ小学生のスペイン語(つまり国語)の教科書を学んでいた。他の生徒はHが早くペルー人学校に慣れるよう必死に話しかけたり優しく接していた。また校長先生も温かくHを対応していた。しかしHは自ら言葉を発することが少なく,常に一人で行動していた。校長先生がいうには,Hは日本の学校でいじめにあっていたという。最初の日本語の授業で,筆者は日本語でHに話しかけるが,質問に合っていない答え方をしたり,日本語をしゃべっているのかスペイン語をしゃべっているのか聞き取れず,コミュニケーションを行うことやHを知ることが困難であった。授業を重ねることによって,Hが他の生徒よりもひらがな,カタカナやある程度の漢字を書けることが分かったので,それを活かせるよう授業中はなるべくHが活躍できる機会を作るよう心がけた。その度に彼女はうれしそうに言葉を書いたが,人前で目立つことや話すことには抵抗があったようだ。話すときはいつもぼそぼそと答えた。筆者は常にスペイン語で対応をすればよいか,日本語で対応をするべきか悩んだ。12月のセクンダリアの授業で,年賀状を書いて郵便局へ行って出してくるというアクティビティを行った。そこで子どもたちは,自分の家族や自分自身,筆者に年賀状を送りたいと希望した中で,Hは唯一日本の友達に送りたいと言った。しかし,Hは年賀状を提出日までに終わらせることができなかった。大半のクラスメイトもそうであるが,Hも宿題をやってくることはなかった。引き続き,Hを理解したり,彼女の日本語力やスペイン語力を確かめながら彼女に合った対応を試みようと努めたが,Hはペルー人学校に2004年の1月から姿を現さなくなった。日本の学校へ戻ったのか,それともペルーへ行ったのか,もしくは日本で何もせず暮らしているのか,Hのことは誰も知らない。両言語に困難を生じ,双方の学校社会で適応できなかった彼女は現在どうしているのだろうか。

2.2.3 Rの場合

2003年8月から,中学部だけでなく小学部にも筆者は日本語の授業を行うことになり,Rに日本語を教えることになった。Rは6歳くらいにペルーから日本に来日し,そのままペルー人学校へ転入した。9歳の彼は,日本語を全く学んだ経験がなかったので,筆者は個別で最初にひらがなを教えた。他の児童はひらながの表記に関し文字の違いが見分けることができたが,Rは見分けることができず,毎回何度もあいうえおから復習した。Rは日本語や日本人と接する機会がないままI市のペルー人コミュニティで過ごしてきた。スペイン語に関し,校長先生は,Rは9歳にしてはボキャブラリーが乏しすぎると言っていた。日本語の表記が弱かったのは,Rの言語能力にも関係していたのかもしれない。にもかかわらず,Rはペルー人としてのアイデンティティを強く持っており,いつも筆者にペルーのことを話してくれた。そのような中,家庭の事情で親が日本に定住することを決めたことから,Rは2004年1月からペルー人学校を止め,日本の小学校に転入することになった。ひらがなも「か行」までしか覚えられなかったRは,現在どこの小学校でどのように日本語を学び,授業を受けているのだろうか。今後彼が日本語や日本社会にどう接触を持ちながら,ペルー人として確立されつつあったアイデンティティを形成していくのか非常に気がかりである。

3.文化的アイデンティティ形成過程

HやRのように,アイデンティティを形成していく大事な時期に子どもたちは,親の都合によって自分の意思に相反し,不安や葛藤を避けられない環境で育っている。箕浦(1990)は,アメリカにわたった日本人の子どもたちの文化的アイデンティティ形成過程を以下のように述べている。

  1. 9~15歳は,文化化の影響を最も強く受け,対人関係の文化的意味が形成されやすい感受期である。
  2. 8歳以前は,言語習得も早いが短期間で第一言語が第二言語に対する優位を失いやすい。
  3. 9歳以降は,第一言語に第二言語が付加されることが多い。
  4. 学齢期の子どもにとって両親よりも仲間集団の方が文化化エージェントとしての影響力が大きい。
  5. 滞在4年以上と4年未満では文化的同化度が優位に異なる。

Hは日本の公立学校で過ごしたことで,対人関係の文化的意味が形成される大事な時期に日本語とスペイン語両言語において中途半端になってしまったのではないだろうか。彼女は(2)で書いてあるように,第一言語であるスペイン語が,第二言語である日本語に対する優位を失っている。そしてその日本語でさえも十分ではない。Hはアイデンティティをどのように形成しているのだろうか。Hには彼女に理解できる言葉を使い分けながら,彼女が自ら何かしら気持ちを発する機会を作ることが必要である。また,Rの場合は日本語を初めて学ぶことから,母語による指導が必要になる。その母語もRにとって理解のできる母語である必要がある。

4.二文化化モデル

4.1 異文化間教育の教育人類学的モデル

HにしてもRにしても,環境と言葉の変化が大きく彼らのアイデンティティに影響することは間違いない。HとRにおいて具体的にどのような環境の変化が起こっていたのだろうか。

関口(2003)は,江淵(1994)の異文化間教育の教育人類学的モデル,

  1. 「文化転換型」異文化間教育
  2. 「文化交差型」異文化間教育
  3. 「文化分離型」異文化間教育
  4. 「相互作用型」異文化間教育

の4つの観点を在日日系ブラジル人の子どもに置き換え,文化化環境の諸相を見ている。

(1)の「文化転換型」異文化間教育とは,ブラジル人集住地ではない地域に住み,国際教室などの特別な配慮もない日本の公立学校に通う日系の子どもたちの教育環境にあり,移行したホスト先で新たな文化化を経験する過程である。(2)の「文化交差型」異文化間教育とは,学校,仲間集団,マスメディアを中心にした日本型文化化と,家庭やエスニック・ネットワークを中心にしたブラジル型(日系ブラジル型)文化化の作用が交差した二元的文化化環境におかれ,言語文化影響を双方から受けて育っている過程である。(3)の「文化分離型」異文化間教育とは,ブラジル人学校のみに通い,日本の学校に通わない子どもたちの教育形態で,ブラジル人コミュニティの中だけで充足してしまう「異文化回避型」である。これは,日本の学校にもブラジル人学校にも通っていない「不就学・未就学」の子供も含む。(5)の「相互作用型」異文化間教育とは,日本人と日系ブラジル人の間に意図的に相互作用の機会を設け,相互理解の促進を図る教育活動である。関口は,在日日系ブラジル人の子どもにおいて,エスニック・コミュニティが発達していなかった1987年からコミュニティが確立される現在にいたるまで,上記の4つのモデルの順に教育形態の変遷が遂げられていると述べている。

この4つのモデルを見ると,I市のペルー人学校社会では,児童生徒が帰国する際に母国でそのまま教育を受けることができることを目的としているため,「ペルー人であること」やカトリック教の考え方を意識した教育が成されている。したがって,ここで学べば日本文化や日本の学校とは切り離して成長していくので,I市のペルー人学校はこのモデルの中では(3)の「文化分離型」異文化間教育に相当すると言えよう。

しかし,日本の公立学校に通うJSL児童生徒の場合はどうだろう。日本と母国双方の文化がシーソーに乗ったように揺れ,バランスの悪い状態が続き,自己のアイデンティティに常に葛藤がつきまとうのではないだろうか。JSL児童生徒にとって苦痛な環境になりかねない。

HとRはこの大きく異なる日本の公立学校にあたる(1)「文化転換型」,もしくは(2)「文化交差型」と,ペルー人学校にあたる(3)「文化分離型」の極端な違いを経験することになった。Hでの日本の公立学校での経験や,Rのこれからの公立学校での経験は,二人のアイデンティティの形成において大きく関わっていくであろう。

4.2 バイカルチュラルなアイデンティティの構築へ

このようなHとRの文化化環境を経て,理想的なアイデンティティの確立を促すモデルが(4)の「相互作用型」異文化間教育である。(4)のようなJSL児童生徒の多い地域では,学校現場で国際理解教育の一環として取り組まれている活動や,国際交流協会などによる国際交流事業が始まっており,少しずつではあるが多文化主義という理念を探る方向へ変わりつつある。関口(2003)は,民族や国家という枠組みを超境し,「異文化間に生きる子どもたち」の多元的で流動的なアイデンティティのありようをありのままに受け止め,彼らが自らのアイデンティティを保持しながら当たり前に生きていける社会,個人のアイデンティティの停泊点が複数の場所にまたがって存在できるような,開かれた社会文化システムの構築が求められると言う。

また,縫部(1999)は「世界人権宣言」や「子ども権利条約」で子どもの学習権が規定されていることから,JSL児童生徒においてアイデンティティ保全の権利を目指した多文化教育への移行が望まれることを述べている。

このように現在ではバイカルチュラルなアイデンティティの構築への動きが始まりつつあるが,それが実現し,うまく機能するにはまだまだ時間がかかるだろう。

JSL児童生徒による主体的視点

バイカルチュラルなアイデンティティの構築が難しい現状において,今この瞬間の改善策を見ていく際に,HやRをどのように指導する必要があるだろうか。それは,枠にとらわれずに個をそのまま受け入れることである。

アイデンティティは「日本人である」というような国や,日系人といったエスニック・コミュニティによってのみ分類されるものではなく,また日本語やスペイン語といった言語によって分類されるものでもない。アイデンティティは,カテゴリー化された中で位置づけられるのではなく,一個人が多様化された要素から独自のアイデンティティを形成していく。従って,JSL児童生徒を主体と考える際に,取り巻く環境が大きく児童生徒を左右し,JSL児童生徒はそれに流されざるを得ない状況にある。そのような環境を変えることができない中で,JSL児童生徒に関わる者としていかにアイデンティティの確立を促していけるかは,JSL児童生徒が自ら考え判断できる環境を作れるか否かにあるのではないだろうか。

確かにJSL児童生徒のアイデンティティ形成において,言葉や国は切り離せない部分ではあるが,それだけで子どものアイデンティティを解釈するには危険がある。もちろん,母語と日本語の両言語を維持することは非常に重要であり,在籍学級で自己アイデンティティを確立して自信を持つためにも重要なことである。太田(2001)は,母語の排除・否定を前提として母語を日本語にシフトさせるという補償的日本語教育は,言語習得の領域を超えた人間存在の独自性(アイデンティティ)に影響を及ぼすと言及している。しかし,だからといって母語のみによる適応指導,もしくは教科指導が必ずしもJSL児童生徒にとって好ましいわけではない。そして国単位でJSL児童生徒を分けて考えるのも好ましくない。どの方法にしても,指導するJSL児童生徒を主体に置き,適した方法であるかを常に問いながら接することが前提となる。

6.アイデンティティの形成を促す指導とは

このようなJSL児童生徒主体を意識した中で,親の生きていくための選択が大きく影響するJSL児童生徒に,彼らに関わる担任,日本語教師や日本語ボランティアが日本語指導をするにあたって留意する点はどのようなことだろうか。ペルー人学校へ転入してきたHや,日本の公立学校へ転入したRから筆者が感じたことを以下あげてみたい。

  • JSL児童生徒の意思を尊重すること
  • JSL児童生徒の希望や,嫌なことを把握するよう努めること
  • JSL児童生徒との信頼関係を築くこと
  • 教師自身がJSL児童の母文化・母言語を理解したいという姿勢を持っていることを常にJSL児童生徒に示すこと
  • 同じ境遇にあるJSL児童生徒とJSL児童生徒を交流させる機会を設けること
  • 日本文化(日本語)を押しつけないこと
  • 日本の学校文化や教科を押しつけないこと
  • 児童生徒の母文化を押しつけないこと
  • JSL児童生徒が日本語の話せない親を卑下している場合は,違う視点の考え方を話してみること
  • 共通点をみつけ,自らがJSL児童生徒のロールモデルとなれるよう心がけること

次に具体的な悪い例をあげる。

  • JSL児童の意見を聞かずに,クラスでJSL児童を中心とした国際理解の授業などを行う
  • 授業中にみんなの前でJSL児童生徒にJSL児童生徒の母文化・母言語に関する質問をして注目をあげさせる
  • JSL児童がどれだけ母語を話すのかが定かでないのに,母語の通訳をつけたり,母語による指導を行う

JSL児童が主体的に何かを選択できることは,失敗を他人のせいではなく自分で受け止めて経験として学ぶことができ,自己を形成していく上で非常に重要な意味を持つ。JSL児童生徒を見守り,JSL児童生徒の自信を助長する気持ちを常に持って接することが,JSL児童生徒に関わる者として必要であると言えよう。

  1. 文化的アイデンティティとは,個人,家族,共同体,国家の歴史が反映される。[本文に戻る
  2. I市のペルー人学校では,セクンダリアを10歳以上,プリマリアを9歳以下とわけている。[本文に戻る

参考文献

  • 猪熊未奈子・高田文芳(2004).母語を生かした学習支援モデル事業―横浜市国際交流協会(YOKE)と横浜市立港中学校の実践『第4回外国人児童生徒フォーラム』.
  • 江淵一公(1994).『異文化間教育学序説―移民・在留民の比較教育民族誌的分析』九州大学出版会.
  • 太田晴雄(2001).母語教育の公的支援―より公正な教育の実現 KOBE外国人支援ネットワーク(編)『在日マイノリティスタディーズⅠ 日系南米人の子どもの母語教育』.
  • 川上郁雄(2002).第6章 年少者のための日本語教育 細川英雄(編)『ことばと文化を結ぶ日本語教育』凡人社.
  • 川上郁雄(2004).書評『在日日系ブラジル人の子どもたち―異文化間に育つ子どものアイデンティティ形成』『異文化間教育(アカデミア出版会)』19.
  • 小池生夫(2003).『応用言語学辞典』研究社.
  • ベーカー,C. 岡秀夫(訳)(1996).『バイリンガル教育と第二言語習得』大修館書店.
  • ジャンジーラ前山(2001).異文化社会への適応とアイデンティティ―在日日系ブラジル人子女への聞き取り調査から『在日日系ブラジル人シンポジウム報告書』上智大学ポルトガル・ブラジルセンター.
  • 牲川波都季(2002).第2章 学習者主体とは何か 細川英雄(編)『ことばと文化を結ぶ日本語教育』凡人社.
  • 関口知子(2003).『在日日系ブラジル人の子どもたち―異文化間に育つ子どものアイデンティティ形成』明石書店.
  • 光長功人・田渕五十生(2002).ブラジル人の子どもたちは,どのようにアイデンティティを変容させるのか?―帰国後の再適応を観察して中国帰国者促進センターホームページ
  • 長江春子(2003).私の言語歴とアイデンティティ『異文化間教育学会第24回大会』異文化間教育学会.
  • 縫部義憲(1999).『入国児童のための日本語教育』スリーエーネットワーク.
  • 箕浦康子(1990).『文化の中の子ども』東京大学出版会.
  • Berry, J.W. 小笠原博毅(訳)(1997)「文化的アイデンティティとディアスポラ」『現代思想』26(4).

出典

以上の論考は,年少者日本語教育実践研究 vol.2 (2004)より転載したものである。