書評

日本語教師の「意味世界」から見えてきた現実とは何か ― 日本語教師の「実践」はどのように「意味づけ」され行われているのか

中野千野(なかの ちの)

本書は,2009年度,早稲田大学より学位授与された博士論文をもとに執筆されたものである。本書のテーマである「子どもに教える日本語教師の『意味世界』」が博士論文として高く評価されたのはなぜか。それは次の2点にあると言える。1点目は,日本語教師の「意味世界」を明らかにすることで,日本語教師が国の言語教育政策の「受け身」ではなく,「実践と学びの主体」であることを明らかにした点である。2点目は,日本語教師が「実践と学びの主体」であるという「まなざし」を言語教育政策者や日本語教育研究者が,なぜこれまで持ち合わせていなかったのかを鋭く描き出した点にある。

著者が「日本語教師が『実践と学びの主体』である」ことを明らかにできたのは,著者の鋭い着眼点にある。これまで日本語教師は「語られる」存在であっても,その「声」を聞かれることはなかったのである。言語教育政策の掲げる「理想」や「方向性」と現場の「実践」が乖離し「問題」となる時,その責任を負わされてきたのは常に現場の教師たちであった。しかし,著者は「日本語教育の『理想』と『問題』を語ってきたのは誰なのか」に注目した。著者は,オーストラリアの初中等教育機関で教える3名の日本語教師自身が語るライフストーリーをもとに,その詳細を明らかにしている。日本語教師は,学校内外での「経験」や「出来事」を通して,自ら「学び」,個人の「意味世界」を形成しているのである。その過程において,言語教育政策や理論を意味づけ,取捨選択を行い,各々の実践に至っている。つまり日本語教師は,現場において「主体的に学び」,「主体的に実践」しているのであり,決して言語教育政策や理論を「受け身」として機械的に「実践」しているのではないことを著者は明らかにしたのである。

「日本語教師が『実践と学びの主体』である」という「まなざし」は,オーストラリアが抱える〈言語教育政策〉の課題を浮き彫りにした。「まなざし」,つまり著者は,日本語教師の「意味世界」の視点から描き出すことで,日本語教師の「意味世界」と「実践」は「個人の営み」という小さな枠内で行われているのではなく,逆に〈言語教育政策〉という幅広い文脈の中に深く根ざしていることを明らかにしている。なぜならば,現場において,言語教育政策や理論を解釈,取捨選択し,「実践」を決定づけるのは,言語教育政策者でも日本語教育研究者でもない,現場の日本語教師にほかならないからである。日本語教師の「意味づけ」と「実践」は,言語教育政策と表裏一体であるにもかかわらず,「日本語教師が『実践と学びの主体』である」という「まなざし」が,これまでの言語教育政策者や日本語教育研究者には「死角」となっていた。著者はその点を鋭く描き出した。

著者が先述した二点を,丁寧に,そして詳細に描き出すことに成功したのは,ライフストーリーという研究手法に加えて,その解釈を多角的にするために,参与観察と聞き取り調査の手法を相互補完的に用いたことに拠ると言えるだろう。複数の研究手法を組み合わせることで,当事者である日本語教師自身の視点と調査者である著者の視点から,実践への解釈の「重なりや異なりを検討すること」(p. 39)を可能としたのである。

研究においては,「研究者」と「研究対象」者という「不平等な力関係」が存在する限り,内側からの「声」を紡ぎだすことは難しい。時には「研究対象」者に不利益が生じたり,あるいは「研究対象」者を傷つけてしまったりということが起こり得る。著者は以前,調査協力者である日本語教師から,論文で引用した語りを削除してほしいと言われた苦い経験を持つ。著者は,その苦い経験は自らの「研究対象」者へのまなざしに起因するのではないかということを自覚する。その反省から書き手である「研究者」と,書かれる側となる「研究対象」者との間に存在する「不平等な力関係」を少しでも対等にするための研究方法を模索し始めた。そして辿り着いたのが,当事者自身が語るライフストーリーという研究手法であり,解釈の誤解を避けるために,参与観察,聞き取り調査を相互補完的に用いるという方法であった。このことが「研究者」と「研究対象」者という「不平等な力関係」を対等に近づけ,当事者の内側からの「声」を紡ぎだすことに成功したと言えるだろう。

本書は,現職の日本語教師の方,日本語教育支援のボランティアに携わる方であれば,本書に登場する三名の教師が織りなす様々な「工夫」や「実践」は参考になることも多く,語りの内容そのものにも魅力があるのではないかと思う。研究者の方には,研究における自らの立ち位置への〈問い〉に,著者の採用した研究手法がその答えの方向性を示唆してくれると言えるだろう。教育行政担当者,小中等教育の学校関係者,地域の教育コーディネーターの方には,現場の日本語教師の視点から言語教育政策を捉えることができるという貴重な機会を与えてくれるだろう。

グローバル化した今日では,「日本語」を学ぶ子どもたちも多様化している。その子どもたちの多様性と日々,直接向き合うのが現場の日本語教師である。だからこそ,国内外の様々な日本語教師の「意味世界」とその「実践」を探る必要がある。なぜならば,本書で著者が明らかにしたように,教師の「意味世界」が各々の「実践」として反映されるからである。今後は,子どもたちの「ことばの力」の育成において,日本語教師の「意味世界」とその「実践」が相互にどのように関係しているのかを早急に調査する必要がある。