タイの日本語教師奮闘記

武蔵祐子

第3回 タイ・農村でのホームステイ

村の御神木青年海外協力隊の日本語教師として来タイした初めの一ヶ月は現地語学訓練なるものを受けた。タイに来る前にも日本で2ヶ月半の語学研修を受けたが,要するに現地の言葉が話せなければ,仕事にならないということだろう。(日本語教師に限っては,職場でタイ語を使う機会はあまりないので,それほど高度なタイ語力というのは求められないだろうが,できるに越したことはない。)

その現地語学訓練の一環として,タイ語の実践とタイの農村生活を体験するという目的で,8月に1週間ほどタイの農村でホームステイをした。タイでは今,日本の大分で有名な「一村一品運動」をタイの全国規模の政策として取り入れ,タイ農村部の活性化を図っている。私がホームステイをした村は,竹細工工芸で有名な村で,一村一品運動(タイ語ではOTOP)が成功した産業モデル村として,タイ国内のみならず,海外からも視察旅行に訪れる人がいるところだった。

村の工芸品産業モデル村として視察に訪れる人が多いため,村といってもきれいに整備され,村人も比較的外国人慣れしているような印象を受けた。しかし,そこに生活する人々の生活は,とてもシンプルなものだった。私がホームステイをした家には洗濯機がなかった。手で洗濯をして干した洗濯物からぼたぼた落ちる雫をながめたり,ときどき絞りにいったりしたのが懐かしい。食事はなかなか豪華だったが,食材は村の小道でとれた野草や,近所の家から買ってきた野菜や卵などシンプルだが新鮮な食材で作られていた。

竹細工工芸で成功した村とは言っても,実際に竹細工をしているのは年配の女性で,昼間,村にいるのは年配の人と子どもばかりだった。すなわち,若者は近くの大きな街まで働きにでていて,彼らの収入が家の大きな収入源となっているようだった。働く世代がぽこっと抜けてしまった感のあるこの村で,この先竹細工工芸は誰にどのように引き継がれていくのだろう?と少々不安を覚えるところもあったが,村の偉い方の話によれば,村では子どものころから竹工芸に親しみながら育っているので,働く世代は収入のよい工場などへ働きに出てしまうが,肉体労働で一生働くわけではなく,ある程度の年になると工場勤めを辞め,村に戻って,小さいころから慣れ親しんだ竹細工を引き継ぐという良いサイクルができているのだという。なるほど~と思うと同時に,いつまでもその良いサイクルが続くのだろうかと不安を感じなくもない。

朝の托鉢(左側の女性が筆者)だが,この村でのホームステイは近代的なバンコクとはまた一味違うタイの素朴な生活を見せてくれた。現在私が住む県とこの村がある県は隣同士なので,これから2年間のうちに何度かタイの家族をたずねてみたいと思う。(【右写真】朝の托鉢。左側の女性が筆者)

(2005年9月@タイ)

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