書評
「移動するこども」にとって意味のある日本語を問い直す ― ドイツで日本語を教える視点から
三輪聖(ハレ・ヴィッテンベルク大学,専任講師)
『海の向こうの「移動する子どもたち」と日本語教育 ― 動態性の年少者日本語教育学』
- 川上郁雄(編・著)
- 明石書店より2009年09月刊
- 246p,21cm
- 3,465円(税込)
- ISBN:978-4-7503-3061-7
私が生活するドイツのベルリンには,複数の言語に接触しながら生きている子どもたちが多数いる。例えば,ベルリンの日本語補習授業校(以下,「補習校」と称す)に幼稚部の頃から通い続けている高校生のハナ(仮名)は,ドイツで生まれ育ったのだが,頻繁に日本へ行っており,日本の高校へも1年ほど通っていた経験をもつ。そんな彼女は,日本人の母親とは日本語,フランス人の実父とはフランス語,ポーランド人の義父とはポーランド語,現地校ではドイツ語,音楽活動(ハナは若手のチェロリストでもある)をしているときは英語,というように複数の言語を場面や人によって柔軟に使い分けてコミュニケーションを図っている。さらに,ハナは補習校だけでなく,現地校における外国語としての日本語の授業でも日本語を勉強している。つまり,補習校では「継承語」もしくは「母語」としての日本語教育を,現地校では「外国語」としての日本語教育を受けているというわけである。しかし,そんなハナにも日本語を使用すること自体をやめようと思った時期もあったそうだ。その時期を乗り越えた今,ハナは「日本語が一番好き」「言いたいことが一番表現できるのが日本語」と満面の笑みで語る。
従来なら,ハナはいわゆる「継承語としての日本語を使用し,学んでいる子ども」という枠組みの中で論じられてきただろう。本書は,ハナのような子どもたちを「移動する子ども」という視角から捉え,彼らの「ことばの力」そのものを根本的に見直す。そして,様々な既成の枠組みから脱却し,複数の言語に接触しながら生きている子どもたちの「ことばの教育」のあり方を問い直す。
本書は「移動する子ども」シリーズ第3弾の実践論文集で,海の向こう,つまり日本国外で日本語を学ぶ子どもたちの「ことばの教育」がテーマとなっている。冒頭の川上論文に加え,「日本国外で継承語として日本語を学ぶ日本人の子どもや日系の子どもたちをめぐる日本語教育」,「外国語として日本語を学ぶ子どもたちの日本語教育」,そして「教師研修,教師の成長」というテーマのもと,世界各地のさまざまな年少者日本語教育の実践研究が計10本収録されている。
いずれの論文も「動態性」という概念が基盤となっている。川上はこれまでの「継承語教育」「外国語教育」「第二言語教育」「母語教育」などといった既成の枠組みから脱却し,「動態性」の観点から「ことばの教育」を捉えた実践研究の重要性を指摘する。この捉え直しは,「移動する子ども」にとって意味のある「ことばの力」とは何かという根源的で重要な問題を提起するものである。
教育実践の場に携わる教師たちにとっては,個々の子どもたちを見た実践を行っているように見えても,結局従来の言語教育カテゴリーから脱却することはなかなか難しいというのが現実なのではないだろうか。しかし,補習校などの教育実践の現場で日本語を勉強する子どもたちの動機,目標は実に多様である。上述したハナのような子どももいれば,両親はドイツ人だが日本で生まれ,13年間日本で生活をしていた経験をもつドイツ人家庭の子どももいる。そんな子どもたちが一堂に会して日本語を学んでいるのである。既成のカテゴリーで括りきれなくて当然である。「移動する子ども」という概念は,このような現状において従来の枠組みを問い直す力を持っているといえよう。
補習校に通う子どもたちが複数の言語に接触しながら生きている様子を観察していると,彼らには,複数の言語を自分自身の中で様々に位置づけており,状況や相手との関係の中で柔軟に組み合わせたり使い分けたりしながら効果的なコミュニケーションを柔軟にとっていく力,さらに複眼的な思考ができる能力があるように思われる。先述したハナは,まさにそのような力を有した子どもの例だと思われる。空間,言語,言語教育カテゴリー間を常に「移動しながら」柔軟に力強く生きている。私は,「移動する子どもたち」にはこのような「ことばの力」が必要で,育成してあげるべきなのではないかと思う。川上は,このような複数の言語に接触しながら生きている子どもたちにとって意味のある「ことばの力」とは,状況や場面の中で規定されている「ことばと意味の関係」を理解する力であると主張している。つまり,対話の相手や場面に応じてことばでやりとりをする力こそが,彼らが社会で生きていくために必要な意味のある「ことばの力」なのだといえよう。まさにヨーロッパにおける「複言語主義」「複文化主義」に基づいた言語観に通ずる捉え方である。本書に収録されている中川論文は,このような「ことばの力」の育成を目指した実践として実に示唆的である。中川は,絵本の活用を通して子どもたちの「ことばの力」を育むことを提案している。絵本は,普段から日本語を使用する文脈が不足している子どもたちに対してさまざまな文脈を提供し,その文脈の中で意味のあることばのやりとりができる場を与えてくれる意味でも非常に意義のあるものである。中川は,絵本の物語の文脈において子どもたちに「対話」や「思考」といったやりとりを「経験」させることが学びを総合的に促進すると指摘し,タイの補習校における実践例を紹介している。
さらに,ハナは日本語を使用することを放棄しようとした過去も持っていたように,「移動」に伴って彼女自身の中での「日本語」に対する価値観,位置づけは変化し続けており,様々な場面や相手によっても変動していることが窺われる。つまり,様々な人間関係や場面での経験を通じて日本語,ドイツ語,ポーランド語,フランス語,英語の価値は変化しており,それに伴って彼女の中でのそれぞれのことばの位置づけが常に変化しているのである。そういう意味で,本書に収録されている森口論文は示唆に富んでいる。空間的に移動すれば,個人の中での日本語の価値や意味が変化し,学びもそれに応じて変容する言語習得の様子をパワーリレーションの観点から詳細に調査・分析している。
川上は,様々な実践例を踏まえ,今,「移動する時代」に生きる子どもたちに必要な日本語教育の実践を新たに構想する時期に来ていると指摘している。これはつまり,日本語教師自身が「変化」にどう対応したらよいかが問われているのである。しかし,このような教育実践は,どこかに確定したものがあるのではなく,実践を通じて探求されていくものだという。必要なのは,教師がどれくらい意識しながら実践していくかということであろう。「移動する子ども」にとって意味のある日本語力とはどういうものなのか。この問いかけを忘れずに,子どもたちに寄り添いながら実践を重ねて探求していかなければならない。そういう意味で,本書に収録されている様々な実践例は多くの示唆を与えてくれる。
今後,日本国外で日本語を使用する子どもたちの日本語教育を,「継承日本語教育」や「国語教育」といった既成の枠組みから脱却して「動態性」の観点から捉えることによって,教育実践の現場にも新たな動きが起こることが予想される。複数の言語や文化に接触しながら生きている子どもたちを従来の既成の枠組みに収めるのではなく,「移動する子どもたち」と捉えて論じている本書は,その先駆けとなる一冊といえよう。