書評『私も「移動する子ども」だった』

心に寄り添うことの大切さ

土屋康子(元東京都公立幼稚園教諭)

私は「移動する子ども」だったという表題に心引かれ興味を持ちました。

以前,私は東京都の公立幼稚園の教諭として勤めていました。そのときに,川上先生が言っておられる「移動する子ども」と同じ子どもと出会い共に生活した経験があるからです。

本書を読み進んでいくうちにある女児のことを思い出しました。私が初めて「移動する子ども」に出会った女児です。

ご両親とも中国の方で,お父様の急な転勤で日本に来られたご家族の娘さんです。お父様はある程度日本語ができましたが,お母様と娘さんはまったくできませんでした。いきなり日本の幼稚園に入れられ,彼女は不安でいっぱいの表情でした。一日の大半を保育室の片隅でじっとして過ごし,周りで遊ぶ子どもたちの様子を見るだけで,声をかけてくる子どもにも反応しませんでした。私は彼女のそばに寄り添い彼女の眼の動きや表情の変化を捉え彼女の心に寄り添いたいと思い接していました。一ヶ月程たったある日,朝来るなり「せんせい だいすき」と言って飛びついて来たのです。そのときの感動は今も忘れません。

言葉を教えることより彼女の心に寄り添ことの大切さを知りました。

川上先生の「言葉の習得は人と人との関係をどう築いていくか」と述べられていることに共感します。先生の根底には人に対しての愛情の深さやあたたかさ,相手の心を感じようとする人間性があり,全編にわたって読み取ることができました。今感動をしています。

その後,彼女は小学校に行き,大変苦労したのではないでしょうか。元気のない学校帰りを見かけたときその訳がわかりませんでした。本書の10人の方の様子を知るうちに「そうだったのね。分ってあげられなくてごめんね」という思いです。中国に帰国した彼女には,この本書の10人のようにただただ逞しく幸せに生きていってくれる事を願っています。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円