書評『私も「移動する子ども」だった』

「移動する子ども」のもつ大いなる可能性

田村理佳(ロンドン在住,Chelsea Kodomo no Hiroba)

まず第一に一番心に響いたのは,複数言語環境の中で育った方々がそれぞれアイデンティティ・クライシスを経験し葛藤を乗り越えた後「高い自己肯定感を持ち,自分が唯一無二の存在である」という意識を手に入れているという点でした。おそらく単一言語環境で育った人よりもアイデンティティ・クライシスをより早期に,より深刻に経験することで,その葛藤を乗り越えた先に辿り着ける「自己肯定感は非常に高い」ものになるという気がしました。一方,単一言語環境内で育つ子どもはアイデンティティ・クライシスを経験する可能性がより低く,深刻さが比較的軽度である反面,自己内での葛藤が少なくすむため,複数言語環境の中で育った子どもより「自己肯定感」は低いものに留まってしまう傾向にあるのかもしれません。「複数言語環境」という子どものアイデンティティ構築にとって厳しい状況は逆に言えば,その子の大いなる可能性を生み出す(=高い自己肯定感をもつ)ために必要な宝物でもあるという点です。

そして第二に響いた点は,セイン カミュさんが言われているように,いろんな人,文化,宗教に触れてきて「自分はいろんなものを受け入れる態勢でいると思っている」という言葉,コウケンテツさんの「物事を客観的に見やすい」という長所,これら多様性に対する柔軟な姿勢はやはり複数言語環境の中で育った結果得られたものだと思われました。

第三の点は,私自身が現在年少者教育に関わる者として,また海外で子育て中の親として,子どもたちにできることは「言語能力の基礎となる部分をいかに豊かに育てるか」(p. 202)という点にありました。私の場合は日本語を通して,「子どもの主体性を促す,思考のある(意味のある)活動につなげていく」ことを目指すべきだという思いを強くしました。日本語や英語のようなある特定の言語能力を伸ばすという考え方を超え,すべての言語に通じうる「言語能力の基礎を伸ばす」という視点は私にとって大きな気づきとなりました。

そして最後に西原鈴子先生の推薦文がまさにすべてでしたが,「研究者にとっては理論と実際のデータの検証であり」「イギリスで二言語間を迷いながら子育て中の私には貴重な育児書であり」「今後アイデンティティ・クライシスを経験するであろう子どもたちには,先輩方からのあたたかい励まし,応援メッセージ」でした。このようなご本を世に出してくださり本当にありがとうございます。海外で子育て中の日本人ママを代表して深くお礼申し上げます。

(日研5期修了生)

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円