書評『私も「移動する子ども」だった』
伝えたい気持ちは言葉になる
小川二美子(フィリピン在住,会社員)
私の夫はフィリピン人で,17年前からフィリピンで暮らしています。そして,フィリピン人の結婚ビザや短期滞在ビザの書類を揃え,日本に送り出す仕事をしています。
日本語を忘れたくない夫との会話は日本語ですが,職場でのコミュニケーションはタガログです。タガログ語は,数ヶ月間語学学校で習いました。初めは文法に気をつけ,丁寧に話していましたが,少しも会話は弾みませんでした。だんだん,どうしても相手に伝えたいことが増え,少々の文法の間違いは,おかまいなしで,言葉を重ね,繰り返していきました。
その経験から,言葉は伝えたい気持ちがあれば,ちゃんと働いてくれると感じました。
この本を読んで,登場する人たちが複数の言葉の中で揺れながら,それでも自分のアイデンティティを作っていく様子がわかりました。彼らには伝えたい気持ちがあるので,どんな言葉を使っても,自分を表現することができるたくましさを感じました。
『私も「移動する子ども」だった ― 異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』- 川上郁雄(編,著)
- 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ]
- 定価:1,470円 [amazon.co.jpで購入する]
- 目次
- はじめに 「移動する子ども」とはどんな子どもか[抜粋 >]
- 第一部 幼少の頃,日本国外で暮らし,日本に来た「移動する子どもたち」
- セインカミュ(マルチ・タレント) 「外人」と呼ばれて,外人訛りのない日本語で返そうと思った
- 一青妙(女優・歯科医師) 台湾で中国語を話し,自分は台湾人と思っていた
- 華恵(作家) ニューヨークで英語の本を読みふけっていた
- 白倉キッサダー(社会人野球選手) 長野に着いたとき,「タイ語,禁止」と言われた
- ,6.響彬斗&響一真(大衆演芸一座) ブラジルで日本舞踊,和太鼓,三味線,歌を習っていた
- 第二部 幼少の頃から日本で暮らし,複数の言語の中で成長した「移動する子どもたち」
- コウケンテツ(料理研究家) 大阪で生まれ,大人が韓国語交じりの日本語を話すのを不思議に思った
- フィフィ(タレント) 名古屋で育ち,アラビア語を話さなくなった
- 長谷川アーリアジャスール(プロサッカー選手) 埼玉で生まれ,イラン語を「使えないハーフ」と語った
- NAM(音楽家・ラッパー) 神戸で生まれ,「ベトナム語は話さんといて」と親に言った
- 終章 「移動する子ども」だった大人たちからのメッセージ
- あとがき
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