書評『私も「移動する子ども」だった』
社会の偏見差別を変えていくのは個人である
ニシムラ・パーク葉子(オーストラリア・ニューサウスウェールズ州教育訓練省)
コミュニケーションに使える英語を習いたいと要望がこれだけ多いにもかかわらず,今の学校教育ではそのニーズを満たしていないようである。この学校の語学教育のあり方を見直すとすれば,その指針はこの10人の声の中に静かに力強く表現されている。そして,日本はもはやモノカルチャーの国ではなく,バイリンガルと言えば日本語・英語という対極的に考える時代は終わっているという事実を具体的に見せてくれる。
さらに,国際化の必要性が叫ばれて久しいにもかかわらず,社会の実像はまだまだ古い固定観念の枠を取り除いていないのだということが,この10人の目を通してよく見える。また,この10人のインタビューを読み,社会の偏見差別を変えていくのは,個人があらゆるレベルで個々の考え方を変えてゆくしかないということに改めて気づかせられた。この10人の方々の心の奥からの声を引き出してくれたのはドクター川上のこの研究に対する情熱と「移動する子どもたち」に対する深い理解と愛情の賜物であると信じて疑わない。
『私も「移動する子ども」だった ― 異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』- 川上郁雄(編,著)
- 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ]
- 定価:1,470円 [amazon.co.jpで購入する]
- 目次
- はじめに 「移動する子ども」とはどんな子どもか[抜粋 >]
- 第一部 幼少の頃,日本国外で暮らし,日本に来た「移動する子どもたち」
- セインカミュ(マルチ・タレント) 「外人」と呼ばれて,外人訛りのない日本語で返そうと思った
- 一青妙(女優・歯科医師) 台湾で中国語を話し,自分は台湾人と思っていた
- 華恵(作家) ニューヨークで英語の本を読みふけっていた
- 白倉キッサダー(社会人野球選手) 長野に着いたとき,「タイ語,禁止」と言われた
- ,6.響彬斗&響一真(大衆演芸一座) ブラジルで日本舞踊,和太鼓,三味線,歌を習っていた
- 第二部 幼少の頃から日本で暮らし,複数の言語の中で成長した「移動する子どもたち」
- コウケンテツ(料理研究家) 大阪で生まれ,大人が韓国語交じりの日本語を話すのを不思議に思った
- フィフィ(タレント) 名古屋で育ち,アラビア語を話さなくなった
- 長谷川アーリアジャスール(プロサッカー選手) 埼玉で生まれ,イラン語を「使えないハーフ」と語った
- NAM(音楽家・ラッパー) 神戸で生まれ,「ベトナム語は話さんといて」と親に言った
- 終章 「移動する子ども」だった大人たちからのメッセージ
- あとがき
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