書評『私も「移動する子ども」だった』

「移動する子ども」のアイデンティティ――「お得な自分」に気づくとき

稲垣みどり(アイルランド在住 日本語教師)

10年余前に日本人学校の教員としてアイルランドに渡り,現在当地で日本語教師として働く身として,またアイルランドで二人の「移動する子ども」を育てる親として,この書は実に示唆的である。10人の元「移動する子ども」たちは,自分の置かれた状況で,複数の言語,文化に直面しながらも自分なりの主体的な生き方を獲得していく。その過程での葛藤に十人十色の決着(おとしまえ)をつけていく過程がみものである。

川上は,アイデンティティとは自分の姿やあり方について,「自分が思うことと他者が思うことによって形成される意識」とする(p.212)。自分の意志のあずかり知らないところで「移動」を余儀なくされる「移動する子ども」にとっては,まさにこのアイデンティティ形成過程の葛藤を乗り越えることが死活問題であることがインタビューを読んでいても切実に伝わってくる。フィフィが自分の子に伝えたい言葉として語った言葉,「あなたはこの国(日本)で外国人として生きていくことで,マイナスになっていくんではなくて(略)もっと得ができるんだよ。」(p.157)を私も自分の子に伝えたい。複数の言葉の力,複数の文化背景を持つ自分の「お得さ」に気づき,それを他者との関係の構築に最大限に有効活用して生きていくこと。これこそが「移動する子ども」たちの最高の生きる戦略ではなかろうか。

客観的に測定し得る言語の「能力」を他の子と比べて汲々とするのではなく,子ども自身が自分の言葉の能力をどう思っているか,「お得感」を持って日々生きることができているか,その「意識」の方に目を向けて,今後は自分の周りにいる「移動する子ども」たちを見守っていきたい。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円