書評『私も「移動する子ども」だった』

『私も「移動する子ども」だった』を読んで

藤田 麻紀(ニューヨーク在住)

一人一人の証言はとても興味深かったですが,特にサッカーをしているアーリア選手が「自分は自分だ」と言い切っているところが力強く印象的で,そのポジティブな姿勢がとてもいいなと思いました。

また「人に何を言われようと自分は自分のやりたいことをやる,という意思を一番最初に持つことが大事だ」ということを言っています。これは,ストレートに心に伝わるメッセージでした。これは人によっては簡単なことではないかもしれません。しかし,この点に立ち返って考えることは大事なことなのではないかと感じました。

昨年,アメリカの補習校で小学校三年生を教えました。最近,その時の生徒の一人で,アメリカで生まれ育ち今度初めて日本に住む女の子のお母さんに日本語学習に関するアドバイスを求められました。色々と話した後,私の言ったことは本当によかったのか時々思い返し考えていました。

巻末にある川上先生の言葉を読むと,私が経験を通して感じていたことはそんなに間違っていなかったのではないかと思いました。

例えば,アメリカで日本人両親を持つこの子の家庭は日本語環境ですが,子どもは一日のほとんどの時間を英語環境で過ごしているわけですから,次第に英語能力の方が高くなっていきます。ご両親は,「うちの子は英語では厚い本でも進んで読むのに,日本語の本は読みたがらない」とか「漢字を学んでも少し経ったら,ほとんどの漢字を忘れてしまって書くことができない。」など,心配されていました。しかし,現在は英語圏で暮らしているわけですから,主となっている英語能力を高めることは今後の日本語能力の育成に働きかけるため,よいことなのではないかと感じていました。

「華恵さんの場合は,アメリカにいた頃に英語の絵本をたくさん読んでいた」ということや,「白倉キッサダーさんの場合は,10歳まで,タイでタイ語による教育を受けていました。タイ語で考えたり学んだ経験から言語能力の基礎なる力を育成することができ,それが日本に来てから,たとえ「タイ語が「禁止」されても,その力が日本語を学ぶ時に役立ったと思われます。」(P.202) という例に共通点を見出しました。「言語能力の基礎となる部分を幼少の頃から,いかに豊かに育てていくか」これは大きなポイントなのではないかと思います。

「その言語能力で何ができ,何ができないかよりも,その人が自分の複数言語の言語能力をどう考えて,どう生きていくかということの方が,その人にとっては重要なように見えます。」(P.208)という言葉に共感を覚えました。

複数言語能力を親が考えるだけでなく,子ども本人がどのように意識して考えられるようになるのかを考えています。

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表紙『私も「移動する子ども」だった』『私も「移動する子ども」だった――異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』

  • 川上郁雄(編,著)
  • 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ
  • 定価:1,470円