書評『私も「移動する子ども」だった』
子どもたちが日本語を学ぶことに疑問を持った時に一緒に読みたいと思う
クレニン道上まどか(スイス:ベルン日本語教室・教師)
引き込まれるように10人の「移動する子ども」だった方のライフストーリを,一気に読んだ。そして,この本を「移動する子ども」である自分の娘や生徒たちと一緒に読みたいと思った。
スイスに住む日本語のルーツを持つ子どもたちに日本を教え始めて13年になる。日本語は私が子どもたちに手渡すことのできる宝物だと確信している。もう一つの言葉を持つこと,もう一つの視点を持つことがどれだけ豊かなものを与えてくれるか。家庭で母親とは日本語を話していた子どもたちが,幼稚園に行きあっという間にスイス語の海にのみ込まれていく。どうやって,どのくらい自分の言葉としての日本語を育てていったらいいのかという試行錯誤。この本を読んで,人生の正解は一つではないのだという当たり前のことを思い出した。
嬉々として通ってくる年少の子どもたちが,「どうして日本語しなくちゃいけないの?」と思いだす思春期…。この本を一緒に読んでみたいと思う。
『私も「移動する子ども」だった ― 異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』- 川上郁雄(編,著)
- 2010年5月10日,くろしお出版より刊 [紹介ページ]
- 定価:1,470円 [amazon.co.jpで購入する]
- 目次
- はじめに 「移動する子ども」とはどんな子どもか[抜粋 >]
- 第一部 幼少の頃,日本国外で暮らし,日本に来た「移動する子どもたち」
- セインカミュ(マルチ・タレント) 「外人」と呼ばれて,外人訛りのない日本語で返そうと思った
- 一青妙(女優・歯科医師) 台湾で中国語を話し,自分は台湾人と思っていた
- 華恵(作家) ニューヨークで英語の本を読みふけっていた
- 白倉キッサダー(社会人野球選手) 長野に着いたとき,「タイ語,禁止」と言われた
- ,6.響彬斗&響一真(大衆演芸一座) ブラジルで日本舞踊,和太鼓,三味線,歌を習っていた
- 第二部 幼少の頃から日本で暮らし,複数の言語の中で成長した「移動する子どもたち」
- コウケンテツ(料理研究家) 大阪で生まれ,大人が韓国語交じりの日本語を話すのを不思議に思った
- フィフィ(タレント) 名古屋で育ち,アラビア語を話さなくなった
- 長谷川アーリアジャスール(プロサッカー選手) 埼玉で生まれ,イラン語を「使えないハーフ」と語った
- NAM(音楽家・ラッパー) 神戸で生まれ,「ベトナム語は話さんといて」と親に言った
- 終章 「移動する子ども」だった大人たちからのメッセージ
- あとがき
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