国際教養学部のクラスから

間橋理加 (研究内容紹介

第3回 日本語クラスでの新しい試み [2008-04]

2004年9月に契約講師として教壇に立って以来早いもので,2008年4月で8期目となりました。「国際教養学部のクラスから」はお休みをしていましたが,その間,国際教養学部の2レベル(初級)というクラスを中心に指導を行なっておりましたが,2007年4月から「日常会話において日本語で話す・聞くということは特に問題は見られないけれど,読み書き能力をつけたい」という別科生・大学院生・国際教養学部生を対象にしたクラスが新設され,「できる日本語5-6」(5-6レベルは中級)を担当することになりました。このクラスでは教科書を使わないので,教材選びからシラバス作成,評価方法を決めるなどゼロからの出発となりました。今回はこの「できる日本語5-6」,2007年春学期(4月~7月),秋学期(9月~2008年1月)の授業を振り返り,これからの大学生に必要とされる日本語指導とは何かについて考えたことを書きたいと思います。

「できる日本語5-6」

「できる日本語5-6」は週2日,1コマと2コマの計3コマで単位を取得するクラスです。教材を選ぶにあたって次のことに留意しました。

  1. 主体は学習者なので,学習者が興味を持てるテーマであること
  2. 教科書では学ぶことが出来ない最近のテーマや話題について,さまざまなジャンルや文体を取り混ぜること
  3. そしてそのテーマや話題はクラスで討論に値する内容をもっていること
  4. 易しい内容から難しい内容へと取り組むこと

でした。そして授業方法については,新たな試みを導入しました。つまり「読む・書く」技能というのはかつては個人の静的な活動として考えられがちでしたが,1980年代頃から「協働学習」という受け身ではない動的な活動として注目されるようになりました。そこで本コースでも動的な学習として捉え,グループ活動を取り入れました。では具体的にどのような授業を行なったかを次に簡単に紹介します。

秋学期

秋学期は授業前に予めテーマや話題を決めておき,2コマ続きの水曜日は主としてDVDを見て話し合い(話題や新しい語彙の導入として),新しい話題に対する活性化を図り,続く金曜日の1コマでは関連する記事や読み物を使って読解するという流れでした。そしてそのテーマや話題が終了するとレポートを書くというのが一連の流れです。レポート作成後は,他の学生が書いたレポートを互いに読み合って評価する相互評価を行ないました。学期の後半では「地球環境問題」という大きくて難しいテーマ(この学期では一番難しいテーマとして位置づけました)について,グループごとに与えられた課題に対してインターネットで検索したりさまざまな資料を読んだりして,最終日にはクラス内でパワーポイントを使って発表するということも行いました。また私の授業で初めての試みとして,「ジグソー」という読解活動も行ないました。

秋学期

春学期は水曜日と金曜日のコマ数が逆になりましたが,必要な場合のみDVDを視聴し,基本的には1コマの水曜日は学習者と教師が選んだ読み物の読解を行い,2コマ続きの金曜日はレポートの書き方の講義と好きなテーマについての発表と相互評価,新聞記事や小説以外の読み物の読解を行ないました。そして学期の後半ではグループごとにテーマを決め,その内容についてアンケート調査を実施し,パワーポイントを使って結果発表を行ないました。春学期では自分達でテーマを決めなければいけないので,秋学期よりも多くの時間を話し合いに使いました。

コース始めのオリエンテーションではシラバスの説明と模擬授業に加え,各自が求める授業内容や日本語を学ぶ理由についてアンケートを実施します。すると卒業後は日本語を使った職業に就きたいという回答が多く見られます。「できる日本語5-6」では日常生活において日本語で「話す・聞く」ことは問題なくこなせているけれど,「読む・書く」ことが苦手と考える学生を対象としていますが,「読む・書く」はどの程度できればいいのでしょうか。難しい語彙や表現を使い,文法的にも間違いが少なければそれが本当に上手な会話でありレポートでしょうか。また「話す・聞く・読む・書く」ことはそれぞれ独立した技能でしょうか。

春・秋学期は共にレベル5-6(中級)以上の実力を持つ学生が多数在籍し,このようなレベルの高い学生の多くは語彙が豊富だったり,レポートを書かせても文法的にも致命的な誤りはほとんど見つかりません。しかし彼らにはある共通の問題点が見えてきました,実はこれこそが今回のエッセーを書く動機になったことなのです。

共通の問題点

その問題点というのは,クラスで自分の好きなテーマについて発表をするとき,とてもむつかしい語彙や表現(主に漢語を多様する)を好み,原稿にかいてあるままに読むことです。会話の場面でもそのようなことが多く観察され聞き手は発表内容についてあまり理解できなかったことです。まずこの問題は,書き言葉と話しことばの違いを認識していないことを挙げることができます。それ以外の要因としてレポートの構成方法がわかっていないこともありました。発表者としては語彙表も準備しているのだから聞き手は容易に理解できるだろうという思いがあるのでしょうが,何だか難しい言葉や表現ばかりで結局何を言っているのかさっぱりわからないというのが相互評価でした。聞き手はむつかしい語彙や表現を使わなくてもその発表が劣っているとは評価しないし,それどころか分かりやすくて良いという評価をするのではないでしょうか。ではレポートについてはどうでしょうか。レポートとしては(読み手を教師だけとした場合)すぐれた評価を与えられるのですが,相互評価を考慮するとあまり難しい語彙や表現ばかりでは読み手は十分理解できるとは限りません。レポートも発表と同様に,むつかしい語彙や表現を駆使していなくてもすばらしい内容のものもあります。

つまりここで言いたいことは,たくさん勉強をしてむつかしい語彙や表現などを習得し会話やレポートで使えることはすばらしいことだと思います。しかし発表では聞き手が十分理解できる語彙や表現を使うべきであるし,レポートは誰が読み手なのかを意識する必要があるのです。そのあたりの視点が不足していることが大きな問題なのです。

アンケートに書かれていたように将来日本語を使った仕事をしたいのであれば(日本語に限らず),まずは自己満足に陥るのではなく,人とのコミュニケーションが上手くできる能力を身につけることが必要だと思います。具体的に言えば,レポートや発表の場合には聞き手や読み手を意識することができるということです。そういう観点から,「読む・書く」という技能も「話す・聞く」から切り離して学習できない技能であると考えられます。

これからの「できる日本語5-6」

以上の点を踏まえて,これからの「できる日本語5-6」ではどのような授業を行うべきなのかについてこれまでの実践を振り返って,次のように考えてみました。

これまで行なった授業では,いくつかの問題点が挙げられます。まずクラス内あるいはグループでの話し合いに十分な時間をとらなかったことです。時間的な制約もあり従来通りの文法や語彙の説明,要約などが中心となり,そのテーマや話題についての共通理解をする段階で終ってしまい,自分の考えを発表したり他者の意見を聞いてより発展した話し合いへ進むという段階までに進めなかったことです。その背景には私自身が上手くファシリテーターとして機能できなかったことにも問題があります。次にレポートの添削です。添削はかなり細かく文法や構成について指導をしましたが,個別に学生の話しを聞きながら本当に書きたかったことは何かを確認するというようなことはしませんでした。また相互評価の方法を詳しく説明しなかったので,結果として相手から何かを学ぶといった学生同士の学び合いにはあまり結びつきませんでした。教師による添削と学生同士での場合を比較した先行研究によると,文法などの添削を中心とした教師による添削よりも,学生同士のやりとりではより内容に触れたものが多くみられ,その結果自己モニターが進み優れた読み手や書き手になることができるということです。

これらの反省点を踏まえ2008年4月より始まる「できる日本語6」(今学期より5,6レベルをそれぞれ分離)は,「読む・書く」能力を伸ばすためのクラスであるけれど,協働学習を通じて「コミュニケーション力」という社会に出ても通用する力を養い,自己モニターができる自律的学びができる学習者を育てるクラスを目指すつもりです。

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