年少者日本語教育実践の観点―「個別化」「文脈化」「統合化」

川上郁雄

1.はじめに

本稿は「日本語を第一言語としない子どもたち」を対象にした日本語指導がどのような観点から行われるべきかを考察したものである。

本稿の基になる調査研究と教育実践は以下のものである。それは宮城教育大学「現職教育講座」および早稲田大学大学院日本語教育研究科の大学院科目「年少者日本語教育実践研究」(平成15年度)である。前者は,仙台市内の小学校,中学校等の日本語指導教諭や日本語指導員,ボランティア等との研究会活動であり,また後者は上記日本語教育研究科と新宿区教育委員会との間の協定に基づく「日本語教育ボランティア」派遣とその教育実践である(1)。

2.「日本語を第一言語としない子どもたち」への日本語指導の課題

「日本語を第一言語としない子どもたち」とは一般に「日本語指導の必要な児童生徒」であるが,「日本語指導が必要かどうか」の判断基準は文部科学省によっても明確に示されていない(2)。したがって,ここでは「日本語指導が必要かどうか」に関わらず,「日本語を第一言語としない子ども」というくくり方をする。

この「日本語を第一言語としない子どもたち」の背景は,実際,多様である。たとえば家庭内言語,来日時期,来日年齢,来日前の成育環境などは子どもによって異なる。同じ国から来た子どもでも,一様ではない。さらに,言語能力に関しては,来日前にどのような言語使用環境にいて,どのような教育を受けてきたかによって,ひとりひとりの言語能力が異なると言える。

では,そのような多様な「日本語を第一言語としない子どもたち」に対する,日本語指導上の課題は,どのようなものか。

まず第一は,指導方法の課題である。日本語がまったくわからない子どもへの指導,いわゆる「初期指導」の段階では,指導者はまずどのような内容をどのような方法で指導したらよいかという課題に直面する。多くの教育現場で聞かれるのは「初期指導のシラバスがない」という指摘である。一般に初期指導で教えられる内容は,文字指導,基本動詞とその活用,形容詞等の指導などであるが,それらをどのような観点からどのような教材や方法によって教えたらよいかは,各指導者がそれぞれ経験を通じて考えているというのが,教育現場の現状であろう。さらに,生活言語能力(BICS)ができ,日常的なコミュニケーションがとれるようになっても,学習言語能力(CALP)の育成という課題がある。文部科学省の「学校教育におけるJSLカリキュラムの開発」(3)のねらいもそこにある。しかし,この段階でも,どのような観点からどのような方法で指導を行なうかはまだ十分に学校現場には浸透していない。

第二は,教材の課題である。初期指導においては『にほんごをまなぼう』(文部省)シリーズや『日本語学級』(大蔵守久著)シリーズがあるが,それらを教育現場や対象児童生徒にあわせてどのように使用するかの工夫が必要である。また,教科学習の面でも,教科内容をどのような観点からとらえ,何を教えるのかという課題がある。特に日常会話ができるようになると,「取り出し指導」では在籍クラスの教科内容を補助することが中心的な課題になりがちである。「取り出し指導」を受ける児童生徒が持ち込んでくる,在籍クラスの「宿題」や「課題」を補助するということがある。このこと自体は悪いことではないが,指導自体が在籍クラスの「宿題」や「課題」を後追いするだけになりがちだ。また,だからといって,在籍クラスの学習内容やカリキュラムを無視して,別の教科内容や課題を指導するたびに与えても,子どもの負担を増すだけになる場合があろう。つまり,当該児童生徒の「学び」をどう設定していくかが重要な課題なのである。

第三は,「日本語を第一言語としない子どもたち」の言語能力をどのように捉えるか,どのような言語能力の育成をめざすのかという課題である。実際に指導を行っているとき,特に「初期指導」では日本語の知識(文字,文法,表現等)を学習者に与えることを主要な目的にし,その目的のためにはこのような活動を行なう,あるいは模擬的場面でこのような練習を行なうといった観点で授業案を組み立てがちである。その結果,言語能力を評価するときには,教授した「知識」の量によって評価する傾向がある。しかし,「知識量」が必ずしも「言語能力」とは言えない。これらの子どもたちの言語能力の測定については,これまでいくつかの方法が試みられており,その限界や課題はすでに川上(2003a,2003b)で論じたところだが,ここで重要なのは,学校現場においては,「漢字をどれだけ知っているか」あるいは,「日常会話やコミュニケーション上,問題がないか」といった,言語能力の部分的な「知識」や「能力」の「評価」や,指導者の経験による「評価」(多くの場合,日本人の同年齢・同学年の児童生徒との比較において考える場合が多い)によって当該児童生徒の「言語能力」を把握するしか方法がないという現実である。ここでは,そのような現場を非難することが目的でない。そのような現実を踏まえ,「言語能力」をどう把握し,どう指導するかという課題があることを指摘したい。

以上が,本稿を進めるうえで前提となる「問題の所在」である。本稿では,これらの問題があるところで日本語指導を行うための観点について,前述の早稲田大学大学院日本語教育研究科の「日本語教育ボランティア」が行なっている実践研究を踏まえて提示してみたい。

3.日本語指導の3つの観点-「個別化」「文脈化」「統合化」

前述の多様な「日本語を第一言語としない子どもたち」に対する,日本語指導を行うためには,3つ観点が必要であると,筆者は考えている。それは,「個別化」「文脈化」「統合化」である。以下,それらを検討する。

3-1.「個別化」

まず第一は,個別化である。今,日本にいる「日本語を第一言語としない子どもたち」の母語数は60言語を超えている。また来日する年齢は学齢期前から高校生まで広い。さらに在日期間によっても,子どもたちが持つ母語能力も日本語能力も異なる。幼少のころに来日し,母語が未発達なうえに日本語を習得すると,言語力自体が弱くなる場合がある。母語がしっかり定着していると日本語も定着しやすい。また,日本の子どもと同様に,同じ国から来た子どもでも興味や関心,性格もひとりひとり異なる。したがって,このような多様な子どもたちに日本語を教えるとき,ひとつの教科書で1課から教えるというような「外国語教育」はできない。つまり,子どもひとりひとりに応じた言語学習を提供できるかが重要な鍵となる。それが,ここでいう個別化である。

そのことを「日本語教育ボランティア」の実践から見てみよう(4)。

小池愛の実践は,幼少の頃に香港から来日した,広東語を母語とする4年生(女子)を対象にした実践である。在日期間は8年ほどになるが,たびたび香港に帰るなどしたため,学校側は「個別指導」が必要と判断している。小池は,指導開始後の4回の授業で次のような展開の実践をした。まず1回目は,お互いの自己紹介を口頭でする。そのうえで,「○○新聞」づくりを提案し,お互いに記者になって聞いたことをもとに「新聞づくり」をする。ここで小池は,当該児童が左右の概念があいまいであることに気付く。そこで,次に「地図をかこう」を提案する。実際に自分の家のまわりを描く。2回目は,「地図を読もう」がテーマとなる。ここで作文を聞きながら,地図の記号を確認する作業をする。そのうえで,実際に家から学校まで歩いて,道順の案内文を書くという課題をやる。この案内文には接続表現の学習も含まれている。ここで,小池は地図の中の長さが不正確に描かれていることに気付く。そのため,3回目は,「道のり」をテーマに選ぶ。長さの単位を使って表そうと言って,まず自分の体を測る。さらに学校までの道のりを測る。ただし,ここで四則演算のどれを使うと答えが出るかを考えることが困難であることに気付いた小池は,4回目の実践では,「単位って何?」をテーマにmm,cm,m,など長さの単位を学ぶテーマにする。実際に紙テープを使って,「1mはどのぐらい?」「2mはどのぐらい?」とおおよその長さを身につける。あるいは身の回りのものを測るなどする。

これらのテーマの指導をしながらも,小池は発音(清濁音の混同)や書字能力(撥音の欠落,長音の誤記など)もチェックし,それらの指導も行っている。小池の授業づくりのポイントは,このように,指導する児童の様子から始まっている点が注目される。つまり,当該児童が持つ個別の課題に対して「個別メニュー」の授業を展開しようとしているのである。それは日本語の教科書を1課から行うこととは,まったく異なる指導方法であると言えよう。

山田裕子の実践も「個別化」の例である。山田は子どもの興味や関心に応じた指導を試みている。指導した児童Mは,上海で小学校5年生まで教育を受け,来日後,9ヶ月たった女子である。山田が指導を始めたとき,Mは6年生であった。父が日本人,母が中国人であるため家庭内言語は日本語と中国語であった。その子は活発で,おしゃべりが大好きな性格であるという。指導を終えてから,「うまくいった指導」を振り返り,山田は,児童が話したくなるきっかけやテーマを設定することが重要であると,言う。また,Mが自分の考えを活発に表現したのは,Mと山田の意見が対立したときや,山田が自分の考えを表明したり資料を提示したりしたときであるという。

具体的な指導を見てみよう。歴史に興味があるMは,国語の教科書にあった原爆ドームの写真をきっかけに,「いかに戦争が無意味か,馬鹿げたことか」を熱く語り,さらに中国での戦争のことや,中国には日本に対して恨みをもつ人がいる一方,戦争を過去のこととして捉え日本が好きな人もいることなどを話す。在籍クラスでは戦争をテーマに作文を書く課題があったが,クラス担任の教諭はMに対して,「戦争ではなく,やさしいテーマの作文でもよい」と言ったが,Mは戦争について書こうとした。戦争という難しいテーマの方がMの書く意欲を高めたと見る山田は,児童の意欲や興味にあった課題を与えることが学習意欲や学習効果をあげることにつながるのではないかと指摘する。

また山田は,Mに宛てた「手紙」という方法で,最近の「テロ」について自分の意見を知らせる実践を行なう。そのことがきっかけとなり,Mは今でも戦争が世界で起こっていることや,戦争が起こると食糧や水が不足すること,また今中国では水不足が深刻で,地下水の水位が下がり,水が枯渇していると語り始める。さらに,木が水を吸ってしまうから木はない方がよいとMは主張する。それに対して,山田は木がないと砂漠化が進むから,木はあった方がいいと主張する。このことから,「木があると本当に水はなくなるのか」というテーマで,調べてくる課題を山田はMに与える。その場合,ふたりが同様に調べ,お互いに自分の主張を相手に説得的に説明できるように作文を書いてくるという課題も,山田は課している。これは,インターネットで調べたりすることが好きなMの性格を,山田がうまく利用した指導方法であった。

このように,山田は子どもとの興味や関心をうまく利用したり,個人的なつながりに配慮した指導を行っている。言葉を使い,コミュニケーションを行い,その中でことばを学んでいくというプロセスには,個人の「言いたいこと」「伝えたいこと」,そしてそれを受け止める相手がいなかければならない。もちろん,集団によるクラスダイナミズムの中の「学び」も重要である。しかし,集団の中に放り込んでおけば,「自然に」ことばを学習するというものでもない。多様な個に応じた指導が重要である。それが「個別化」の観点である。

3-2「文脈化」

第二は,文脈化である。言葉は,ひとつひとつ別個にあるものでも,固定化されたものでもない。物の名前をいくら覚えても言葉を話せるわけではない。言葉は文脈の中で意味が生まれ,談話(ディスコース)の中でメッセージを伝える。言葉は流動的なものである。つまり,学習者は場面や状況に応じて言葉を理解し,流動する文脈の中で使用してはじめて言葉を習得する。それは決して文型練習で得られるものではない。したがって,言語教育は,子どもが言葉を使う,意味のある文脈をいかに作れるかがポイントとなる。

ここでいう「文脈化」とは,ことばと内容を支える学習の「流れ」のことで,次の3つのレベルに分かれると筆者は暫定的に考えている。1)言葉の「文脈化」,2)内容の「文脈化」,3)学習の「文脈化」である。

川口(2003)は「「文脈化」して指導する,というのは,ある表現が「誰が/誰に向かって/何のために」行われるものかを記述したうえで指導を行うということである」と述べている(川口,2003:58)。川口は以前から「文脈化」について研究を行っており,その論考から学ぶところも多い。ただし,川口の実践が主に成人学習者を対象にしていると思われるのに対して,本稿が対象とする年少者,すなわち母語を含む言語発達や認知発達が途上にあり,教科学習を進める子どもたちの場合は,言語学習の様子や言語教育環境の点で必ずしも成人の場合と同じではない。以下,筆者の考える「文脈化」について述べる。

1) 言葉の「文脈化」

言葉の「文脈化」とは,年少者が言葉を覚える「流れ」である。『にほんごをまなぼう』(文部省)の最初の単元には,朝学校で友人や先生に会ったときの会話が絵とともに載っている。「さとうさん,おはよう。」「オリベイラくん,おはよう。」あるいは「すずきせんせい,おはよう ございます。」「さとうさん,オリベイラくん,おはよう。」とある。確かに,これも「誰が/誰に向かって/何のために」この言葉を言うかが明確であり,子どもにとってもわかりやすい。しかし,年少者日本語教育の方法が,これですべてかというと,そうではない。重要なのは,子どもにとっての「文脈化」である。

山本冴里の実践は,このことを考えるうえで示唆的である。山本が指導した子どもYは,韓国から来た2年生で,在日期間は指導開始時に約11ヶ月であった。Yは,飛んだり転がったりするのが好きな活発な男の子である。家庭内言語は韓国語なので,日本語はまだ流暢ではなく,ひらがなが読める程度であった。山本は,この子に遊びを通じて語いを獲得させようと試み,『人生をひそかに楽しむための45の方法』という本を使った実践を行った。この本の各ページに「指令」が書いてあり,そのとおりにしようと山本はYに提案する。たとえば,「テレビを消す」「くすぐる」「空をとべるつもりになる」「はだかで泳ぐ」「手紙をかく」「おんぶする」「丸太のように転がる」などが各ページにあり,偶然開いたページの「指令」にしたがって,その動作をするというゲームである。このゲームは山本が創作したゲームである。実際,山本が引き当てた「くすぐる」を山本がYに実際にやったという。

山本はさらに,「しりとり」などの言葉遊びや,創作「すごろく」を制作するなど,子どもの目線に合ったゲームや遊びを通じて言葉の指導を行った。圧巻は,「鯛焼きづくり」である。山本は家庭支援という形でYの家で指導を行っていたが,まず近くの「鯛焼き屋」へ実際に鯛焼きを買いに行くことからはじめた。「鯛焼き屋」で鯛焼きの数え方を学ぶ。次週,山本は自宅から「鯛焼き器」をYの家へ持ち込む。実際に鯛焼きをつくるためだ。そのために,スーパーへ買い物に行く。そこでは,買い物の計算を日本語で行う。買い物が終わると,山本が用意した「たいやきの作り方」(ふりがなつき)を読みながら,二人で実際に鯛焼きを作る。山本は,遊び心から,このレシピに「クイズ」もしかけていた。この一連の「流れ」の中で,Yはいつも以上に発話したという。山本は,子どもが興味を持ち,初めてのことや面白いこと,好きなことを実体験する中でことばを使うとき,たくさんの言葉が発せられるのだと実感する。その瞬間を,山本は「言葉が子どもに吸いついていくようだ」と表現している。

年少者日本語教育の実際の現場は,このような「流れ」,つまり,言葉が吸いついてくる「文脈」をどう作るかという観点が必要なのである。

2)内容の「文脈化」

内容の「文脈化」とは「内容重視」の日本語教育のことだが,年少者の場合は,発達段階や当該学年の教科学習内容も関連してくる。この点が大人を対象にした日本語教育と異なる点であろう。

具体例をあげよう。武一美が指導したのは,父親が日本人,母親が韓国人で,生後7ヶ月のときに来日した1年生である。在日期間は長いが,家庭内言語は日本語,韓国語,英語と多言語環境の子どもである。一見,何も問題がないように見えるが,母親が学校側へ日本語指導の支援を要請してきた子どもである。武は,目の前にないものについて,相手が理解できるように話すことができる力の育成と,話す力から書く力に結びつけることを目標に,「R君のお話し絵本」づくりという活動を設計する。まず「お話し作りの下地」をつくるために,「読み聞かせ」「物語を楽しむ」ことや物語に関するクイズを出したり,カードを並べて紙芝居のように話しを作ったりする。続いて「物語を話す」「折り紙を折りながら,話す」「折り紙でできたものを登場人物にして,お話しをつくる」「お話しを書く」と,徐々に言語活動が活発になるように発展していく。この指導は,週に一回,約2ヶ月間の指導であるが,最後には,「急に熱が出たため,活動を中止すると,お話し作りをやりたいと言って泣き出す」ほどに,この活動に子どもは入り込んでいたという。おそらく,この児童にとっては,この活動は「学習」とは見えなかったかもしれない。しかし,この活動を通じて,Rは確実に言語学習活動を行っていたと見てよいであろう。「泣き出す」ほどにRがこの活動に入り込んでいたのは,なぜか。それは(学習)活動の内容の「流れ」があったからだ。これが内容の「文脈化」である。

国府田晶子の実践も,この内容の「文脈化」の例であろう。国府田は,小学校低学年の複数の児童を対象に,放課後に週一回,絵本を使った活動を設計した。国府田はこれを「絵本使用学習」と呼ぶ。2ヶ月の指導期間に,約50冊の絵本を子どもたちに示し,「読み聞かせ」「集団音読」「自由選択読書」「絵本の内容に関するクイズ」「対話読み」「内容について話す」「内容の書き写し」「黙読」など,毎回,多様な活動を子どもたちに提案した。そのねらいは,「言葉や物語の世界を楽しむこと」と,「独立した読み手」となることを支援することであった。子どもの反応は,当然,ひとりひとり異なっており,この実践自身,多様な角度からさらに分析できるほど多層的な実践であるが,ここでは,前述の武の実践同様に,(学習)活動の内容の「流れ」がある点に注目したい。子どもたちは,毎週さまざまな絵本の世界に触れることができるという,内容の「文脈化」の中で,「絵本」による言語体験を重ね,言語能力を習得していくのである。

3)学習の「文脈化」

日本語指導を行う児童生徒は,「取り出し指導」で学ぶだけでなく,在籍クラスでも日々学んでいる。したがって,「取り出し指導」の学びと在籍クラスの学びを結びつけて考えることも重要な視点である。つまり,「取り出し指導」の学びを在籍クラスの学びから分断してしまうのではなく,物理的に「取り出し」たとしても,両者の学びをつなげて学ぶこと,つまり,学習の「文脈化」が必要なのである。

具体例を見てみよう。間橋理加は,「取り出し指導」が在籍クラスと分断していては十分な指導ができなかった経験から,在籍クラスの学習内容や進度に配慮した「取り出し指導」を行うことに腐心している。指導した児童は中国から来た2人の男子であった。指導開始時,二人とも在日期間は1年ほどで,5年生に在籍していた。間橋は,国語と社会を中心に指導を行い,学習言語能力の育成に重きを置いた実践を設計した。たとえば,国語の指導では,在籍クラスの学習単元を中心に,漢字の読み方や難しい語いや表現,大意把握,発展学習などを行った。これだけ見れば,いわゆる「学習支援」と見えるが,実際には在籍クラスの学びを意識した指導を行っている。地球環境について考える単元では,その単元で使用されるキーワードを意識的に使いながら,二人の児童と話をするようにし,考えたことを「わたしたちが地球にできること」という題の作文に書かせた。この一連のプロセスを間橋は,「在籍クラスでの授業→日本語指導→書く作業により思考と言語の一致→在籍クラスの授業」と学習が進み,学習言語が自分のことばとして定着し,考えの深まりも期待できると説明している。間橋の実践で注目されるのは,このような学習プロセスの背景に,クラス担任との連携がある点である。たとえば,クラス担任との密接な連絡(在籍クラスの学習の進度を尋ねたり,間橋が行った日本語指導の内容をクラス担任へ報告するなど)や,在籍クラスの授業見学により当該児童だけでなく,クラス担任の授業の進め方の観察なども行っている。さらに,日本語指導者が在籍クラスに入り込むことにより,クラス担任が当該児童をより意識化することになると,その効果を間橋は指摘する。

このように,在籍クラスの学びと「取り出し指導」の学びをつなぎ合わせることによって,「取り出される」子どもにとっては,在籍クラスと「取り出し指導」が有機的に結びつくという,学習の「文脈化」が生まれるのである。初期指導の段階では,「取り出し指導」は当該児童が在籍クラス内でのプレッシャーから解放され,母語を使ってリラックスできるところという意味合いもあろうが,それを続ければ,在籍クラスと「取り出し指導」の学びが分断され,当該児童にとっては学習意欲の減退にもなりかねない。間橋の実践は,その点で,両者の連携から「学び」の「文脈」をつくりだそうとする実践なのである。

以上が,本稿がいう「文脈化」の内容である。

3-3「統合化」

第三の観点は,統合化である。ひとつの文が書けるようになったり,一語文や二語文が話せるようになったとしても,それが書く力や話す力とは言えないし,そのままでは書く力も話す力も育成されない。私たちは意味のある,あるいはメッセージのある言葉の塊を発信するために文章を書いたり,話したりしている。逆に言えば,伝えたいことやメッセージがあるから文章が長くなったり,言葉が長くなったりするのである。意味や内容と言葉は切り離せない。したがって,言語教育は,意味や内容と言葉をいかに統合する活動を設定するかがポイントとなる。この点は,年少者日本語教育に限らず,成人を対象にした日本語教育においても同様である。ただし,年少者日本語教育においては,以下のような側面があることを指摘しておきたい。

まず子どもは文法や文型がわかったからと言って,すぐにその言語を話せるようになるとは限らないという点である。言語発達や認知発達の途上という,子どもの成長の観点から言語習得を考えていかなければならない。その例を次の実践から見てみよう。

橋本弘美の実践は,韓国から来た5歳の幼稚園児M(女児)を対象にしたものである。指導開始時は,来日2週間後であった。新宿区内の小学校に併設されている幼稚園から「緊急要請」があり,その園児が入園した5日目から橋本は支援に入った。橋本は,Mと共通の体験をしながら,必要なときにことばを出し,繰り返し,子どもからも気楽に質問できる存在として,「そこにいる」ようにした,とその指導の姿勢を述べている。橋本は次のような実践を報告している。

橋本は,Mが紫のクレヨンでぶどうの絵を描き始めたとき,「むらさき」と言い,周りにある紫色のものを指差しながら,「むらさき」「むらさき」「むらさき」と言った。すると,Mも,その色が紫とわかり,自分から紫色のものを探し,指差しながら「むらさき」「むらさき」と発したという。その後,Mがイチゴの絵を描いたとき,橋本は「あか」と伝え,同じ動作を繰り返す。すると,Mはまた「あか」「あか」と発したという。そこで,橋本は,再度,紫色のものを指差し,「Mちゃん,これ何?」と尋ねる。しかし,Mはすぐに「むらさき」が出てこず,ちょっとはにかみ,「んー」となったとき,橋本はすかさず,「むらさき」と言った。すると,Mの顔がぱっと明るくなり,また紫色のものを指差しながら,「むらさき」「むらさき」と言い出したという。

この体験から,橋本は,この園児が「ああ,それ知っている。でも忘れた。何だっけ」という態度を見せたとき,すかさず言葉をかけてあげることは効果的であると述べる。つまり,実際に身体を使って「体験」し,「その言い方を知りたい」と興味や関心を持っているときに,その言葉を導入することが重要である,と橋本は指摘しているのである。これは重要な指摘であり,これがここでいう「統合化」,すなわち意味や内容と言葉を統合する例である。

これは些細なことのように見えるかもしれないが,言語習得を考えるうえでは重要で,同じようなことは小学校や中学校でも起こる。たとえば,飯野令子の報告によれば,中国から来た6年の女子児童が,プールの授業を楽しみにしていたが背中のニキビを友達に見られたくないために,事前に「プール」が「水泳」と「泳ぐ場所」のどちらを意味するかを聞いてきた,という。また武蔵祐子の報告では,広東語を話す2年生の男子が,身体の仕組みの話から「食べ物が体の中でどうなるか」「血のはたらき」へと話が発展したときに「なんで?」という質問とともに見せた積極的な学びの姿勢について報告している。さらに,アガハチョウの幼虫を見つけたことから,その児童が「目に見えるのは,目じゃなくて,模様なんだよ。このちっちゃいのが本当の目なんだよ」と武蔵に説明してくれた,という。また,渡辺啓太の報告では,コロンビアと日本を行ったり来たりしている中学生の男子生徒が,ふだんはほとんど自分から発話しようとしなかったが,体毛の話になったとき,「豆腐汁とアルコールとレモンを混ぜてこうする」と腕に塗るしぐさをした,という。これらのエピソードは,子どもが指導者(他者)と関わりながら,他者に対して自分が伝えたいと思うこと,聞きたいと思うことを言葉(日本語)で発話し,他者と関わりを持とうとしていること,そしてその中で言葉を獲得しているということを示唆している。このことは言葉と人の関係を考えれば自明なことで,かつ言語習得において,あるいは言語教育において不可欠な視点である。これが,ここでいう「統合化」の視点である。

以上の観点,すなわち,個別化,文脈化,統合化の視点は,日本国内の年少者を対象にした日本語指導において不可欠な視点と言えよう。

4.言語能力の把握について―JSLバンドスケール(5)の試み

前述の「日本語を第一言語としない子どもたち」への日本語指導の課題で,最後は「言語能力をどう捉えるか」という課題である。筆者は,この課題が「日本語指導が必要な児童生徒とは誰か」という課題とも密接に関連している課題であり,日本国内における年少者日本語教育の最大の課題であると考える。同時に,この課題を考えるためには,当該児童生徒の日本語能力が具体的にどのようなものかを考究する方法を構築することであると考える。川上(2003a,2003b)では,そのための方法として,JSLバンドスケール(JSL Bandscales )を提案した。前述の「日本語教育ボランティア」の実践でも,このJSLバンドスケールを使って指導を行っている。ここでは,JSLバンドスケールの基礎となる「言語能力観」について考察する。

JSLバンドスケールの基本的な第二言語能力観はBachman & Palmer (1996)の第二言語能力モデルに拠っている。そこでは第二言語能力を,「言語知識,ストラテジー能力,メタ認知的ストラテジーを含むもので,話題の知識,情意スキーマ,言語使用の状況などとの相互作用的枠組の中で言語を使用する能力」と定義されている(以上,要約。Bachman & Palmer,1996:66-67)。つまり,第二言語能力とは,母語で得た言語能力や言語知識,コミュニケーション体験,および第二言語の知識や第二言語を使ってコミュニケーション活動を行おうとする全人的な能力を言うのである。具体的に言えば,それは,話し手が自己の置かれている状況や直面している場面,また話し手と聞き手の関係性を把握し,適切と考えられる方法で,聞き手や周囲の人々との関係を取り結ぶために第二言語を使用する能力と言える。したがって,その能力とは総合的な言語能力とも言えよう。

「日本語を第一言語としない子どもたち」への日本語指導者がどのような言語能力観を持つかは,極めて重要である。なぜなら,日本語指導者の言語能力観がその日本語指導の方法や評価に直接反映するからである。たとえば,漢字力や書字力が日本語能力の重要な部分を占めると考える日本語指導者は,漢字指導や書写だけを指導し,漢字や書字学習の結果がその学習者の日本語能力であると判断するかもしれない。あるいは,日本語指導者は漢字指導や書字指導だけが年少者のための日本語指導であると考えることになるかもしれない。果たして,そうか。

また,JSLバンドスケールを使った学校関係者が,JSLバンドスケールの中の「測定する項目をレベル毎に限定して,それぞれの項目を点数化した方が測定しやすいのではないか」とコメントを寄せることがあるが,これは,言語能力は項目で分けられ,点数化できるものという言語能力観の反映したコメントであると言えよう。あるいはまた,漢字だけなく,文法理解力や文章内容把握力等を,日本語を第二言語として学ぶ学習者の言語能力として考える場合もある。しかし,その場合の第二言語能力は日本人母語話者に求められる「国語力」あるいはそれとの比較によって想定される「言語力」と考えられているのではないか。

これらはいずれも,JSLバンドスケールの基本となる第二言語能力観とは異なる。JSLバンドスケールでは,前述のように,漢字力や書字力だけを「日本語能力」とは考えない。また,ペーパーテストのように,点数化することで「日本語能力」を測定することをめざそうとはしない。なぜならJSLバンドスケールの基本となる第二言語能力観は,子どもたちが第二言語を使用して,異言語社会で他者との関係性を築こうとする総合的な言語能力だからである。

したがって,JSLバンドスケールでは,次のような記述が用いられる。「他の子どもがすることを注意深く観察するが,話さない場合もある(沈黙期間)」〔小学校低学年・話す・レベル1〕,「考えや意味などを確かめるために,同じ第一言語を話す友だちや大人とは第一言語を話す」〔小学校低学年・話す・レベル3〕,「自分の知っている語句を使ったり,非言語の使用(微笑み,うなづきなど),回避ストラテジー(勉強しているふりをする,忙しいふりをするなど)によって,理解できないことを隠したりする場合がある」〔小学校中・高学年・聞く・レベル3〕,「メタ言語(語・文字・ページ・題名などのような,読みに関する用語)を日本語で理解している」〔小学校中・高学年・読む・レベル3〕,「日本語における広い基礎的な知識が増え,日本語で流暢に話すようになってきているので,書くことにおいても,かなり速く滑らかに書ける。間違いを恐れず書いている。最初に書き出したときに間違いがあって,それを知りながらも,書きたいことを書き続け,テクストを完成させることもある。」〔小学校中・高学年・書く・レベル4〕など。これらの記述は,第二言語能力を子どもたちの社会的な文脈の中に位置づけて記述しようとしたときの必然の結果なのである。

このような総合的測定法(integrated approach)は,これまでの教科書やテストに依存した「国語力」を「言葉の力」として解釈していた人たちにとっては,理解しづらい言語能力観かもしれない。しかし,JSLバンドスケールに見られる第二言語能力理解のアプローチは,こどもにとって言葉とは何か,また人間にとって言葉とは何かを追求することを迫るものである。このことは,新しい言語能力観に基づく新たな言語教育を構想しなければならないことを意味する。

5.今後の課題:年少者日本語教育学の構築へ向けて

最後に課題を述べておこう。年少者日本語教育はまだ始まったばかりである。重要なのは,本稿で検討した観点にたつ日本語指導実践を積み上げることである。そのうえで,その実践の中で,JSLバンドスケールを使った「日本語能力測定」を継続的に行い,測定された当該児童生徒の日本語能力に合った日本語指導方法を開発し実施し,再度その日本語能力の発達度合いをJSLバンドスケールで測定していくというシステムを構築することである。そのような実践研究から,年少者日本語教育学を立ち上げていくことが,今後の課題となろう。

  1. 早稲田大学大学院日本語教育研究科は2002年度に新宿区教育委員会と「日本語教育ボランティア」に関する協定を締結した。「日本語教育ボランティア」派遣システムは,協定にもとづき区立小中学校等が新宿区教育委員会へ要望を出し,その要望を受けた教育委員会が日本語教育研究科へ要請をし,日本語教育研究科の院生が学校等へ日本語指導のボランティアとして派遣されるシステムである。筆者はこれを「早稲田モデル」と呼ぶ。その理由は,年少者日本語教育における,研究と実践を兼ね備えた「専門教員」の教員養成のモデルとなりうると考えるからである。
  2. 詳しくは川上(2003a)参照。
  3. 平成13・14年度の文部科学省の事業。筆者も開発チームの一員として参加した。中学校編の開発は平成15・16年度で継続される予定である。
  4. ここで紹介する教育実践は,早稲田大学大学院日本語教育研究科年少者日本語教育研究室編『年少者日本語教育実践研究』(№.1.2003,№.2.2004)に所収。
  5. JSLバンドスケールは,第二言語として日本語を学んでいる子どもたちの「日本語能力」を測る「ものさし」である。小学校低学年,小学校中高学年,中学・高校の3つの年齢集団ごとに,4技能(聞く・話す・読む・書く)のレベルを7~8レベルに分け,各レベルの言語能力を記述したもの。詳しくは川上(2003a)参照。

参考文献

  • 川上郁雄(2003a).年少者日本語教育における「日本語能力測定」に関する観点と方法『早稲田日本語教育研究』2.
  • 川上郁雄(2003b).年少者日本語学習者の日本語能力測定の方法―JSLバンドスケールの試み『2003年度日本語教育学会秋季大会予稿集』日本語教育学会.
  • 川口義一(2003).「文脈化」による応用日本語研究―文法項目の提出順再考『早稲田日本語研究』11.
  • Bachman, L. F., & Palmer A. S. (1996). Language testing in practice. Oxford University Press.
付記

本稿は,科学研究費補助金による萌芽研究「日本語教育の必要な児童生徒に関する教育方法と教材開発の研究」(平成13年度~15年度:課題番号13878046)および2004年度早稲田大学特定課題研究助成費による「年少者日本語教育における日本語教材,教授法および教育行政システム構築に関する研究」の成果の一部である。

なお,本稿は,学会誌『早稲田日本語研究』第12号(2004,早稲田大学日本語学会)に発表された論文である。それをここに再録したことを付記する。

出典

以上の論考は,年少者日本語教育実践研究 vol.2 (2004)より転載したものである。