『「移動する子どもたち」のことばの教育学』

書評: 新たな日本語観の構築へいざなう存在としての「移動する子どもたち」

岡本能里子(東京国際大学)

本書は,「移動する子ども」学の創発宣言である。筆者の海外生活や多様な訪問地における日本人学校や日本人補習授業校で,多くの「移動させられる子ども」に出会ったことが,研究の萌芽である。

本書を貫く,言語能力観(ことばの力の捉え方)と言語観(ことばの学び)のキーワードは,「動態性」「主体性」「関係性」である。まず,第1章では「移動させられた子どもたち」の語りの記述からはじまる。自分の言語や自分についてどこか不安を持って生きてきた状況が語られており,地道な記述を目指す筆者ならではの暖かい眼差しが垣間見える。そこには,自らの複数言語意識が家族や出会う人々や社会との関係性の中で変化していき,それが生き方にも大きく影響しているという状況がある。ただ,外国から親に随伴してきた子どももいれば,日本で生まれた子どももいて,彼らを表現するカテゴリーがない。そこで「移動する子ども学」創発に向け,「移動する子ども」を,実体概念ではなく,「空間移動」「言語間移動」「言語カテゴリー間移動」という3つの条件をもつ分析概念として捉える。「言語カテゴリー間の移動」とは,従来,子どもの言語や言語学習を表すために使用される母語,外国語,継承語というカテゴリーが大人が作った既成のカテゴリーであるのに対して,その「既成の境界を越えて子どもたちが移動するという動態的な意味」を含んだ分析概念である。また,これまでの言語観には,子どもたちの主体的な視点に立った「言語能力観」,発達段階にそった「言語実践」の構築に関する議論がなかったことについて問題提起を行なう。実践者が静的な言語能力観を捉え直し,子どもたちの発達段階にそって変化する空間軸,時間軸,言語軸の中で動態的に形成される言語能力意識に留意すること,その上で,実践者が子どもたちとの関係を構築しつつ,子どもたちが他者との関係性を取り結び自己のアイデンティティーを形成していけるような動態的な「ことばの力」の捉え直しとそれをふまえた言語のあり方を模索する必要性を示す。

本書は3部構成になっており,その上で,第I部では,上記の観点からこれまで実施されているテストや評価法の検討を通してこれまでの言語能力観と言語のあり方が検討される。その上で筆者の提唱するJSLバンドスケールを通して「実践の中」で見えてくる子どもたちの言語能力がいかに従来とは異なるかが明らかにされる。第II部では,「移動する子どもたち」の主体的な学びを,どうデザインするか,適応するための実践でなく,実践例を通して互いに変わっていく「相互主体的な関係」構築の重要性が示される。更に日本語教材論の不毛さを指摘し,子どもの発達の観点,動態的な言語能力観,主体的な学びの視点をふまえた「実践の中」における学習者にとって意味ある「実践的教材論」の構築の必要性を提案する。そして,地域日本語で注目されている日本語コーディネータの実践例をあげ,支援システムの構築と各機関双方向の関係構築が「移動する子ども」学の創発に不可欠であることを紹介し,子どもへのことばの働きかけの重要性を指摘する。第III部では,「移動する子どもたち」のアイデンティティーとことばの力の捉え直しについて論が進められ,終章では,「移動する子ども」学の創発に向け,そのミッションを「「移動する子ども」への「ことばの」の実践を通じて,人間の姿のあり様を探求する」ことを目指すとし,そのための視座が述べられる。

本書は,「筆者の2つの研究専門領域をふまえ「人間理解を旨とする文化人類学とことばのを旨とする日本語学の架橋過程」そのものを主題として取り組まれたという。昨年刊行の『私も「移動する子ども」だった』において地道な「移動する子どもだった人々」の声の記述がなされ,本書への道筋が創られていたことに今更ながら気づかされる。筆者の両学問分野の架橋を目指した地道な実践研究によって,筆者の目的が充分に達成されている。

本書は,複数言語間で葛藤しつつ生きて来た子どもたちに寄り添い「分厚い記述」を残して来た筆者自身の自己変容の記録でもある。そこには,「移動する子どもたち」が,こうありたい自己を諦めずに探求し,主体的で豊かな人生を歩んでほしいという筆者の強い期待と祈りがある。筆者の熱い思いと受け止めきれなくなるほどの思いで迫ってくる「移動する子どもたち」の声の前に立ちつくす思いだ。彼らの支援どころか,私自身も含む実践者は,彼らの自己のことばの力や存在に不安や葛藤を与え,その自己肯定と彼らのアイデンティティー構築を阻害してきた存在だったのではないか。筆者が最も伝えたかったことは,「移動する子どもだった」人々の複数の生き方を通して,「移動する子どもたち」が大人の視点から支援される存在などではなく,彼らこそが,持続可能な社会を構築し,未来を担う中心的な存在であるのだという強い確信ではないか。「移動する子どもたち」こそが,私たち日本語実践者たちに自己変容を迫り,「第三の場所」の構築と言語の視座を与え,新たな日本語観の構築へといざなう存在なのだという筆者の声が聞こえてくるようだ。

価値観が多元化多様化しながら急速に変化するグローバル社会の中において,実践研究の学である「移動する子ども」学の創発は,今正に時代の要請である。本書は実践研究の宝庫である「移動する子ども」学の幕開けであり,筆者のあくなき取り組みによって,次章へと物語が豊かに花開いて行くことは確実である。そのプロセスを共有できることは読者の大きな喜びであり,日本語を越え,実践研究とは何かを考え続け,日々葛藤しているすべての人々にとっての必読書である。

(※本稿はメールマガジン『ルビュ「言語文化」』382号(2011年10月14日,言語文化研究所)に掲載された記事を,許諾を得て転載したものです。)