大学院生・修了生担当教員,川上郁雄エッセイ

「新しい文化」を創る言語教育

※『国際文化フォーラム通信』No.52. Pp.4-5. 財団法人国際文化フォーラム (2001)より転載

越境する時代の言語教育

オーストラリアの中等教育レベルの日本語教科書『未来』シリーズ(Stage 1-6)のうち, Stage 5の第1課のテーマはExchange Studentsです。登場人物のふたりの若者は日本語で自己紹介をします。ひとりは日本の高校生で, 「はじめまして。山口幸子といいます。ひこうきにのってオーストラリアへ行きます。うれしくてたまりません」と話します。もうひとりはオーストラリアの高校生で, 「ジョン・モリスです。どうぞよろしく。日本に行って,日本の高校で勉強します」と話します。この課は,このシリーズの特徴,つまり,人もモノも文化も楽々と国境を越えていく時代に私たちが生きていることを見事に表しています。日本語教育に限らず,これからの言語教育はそうした時代の流れの中にあると思います。

『未来』が留意している三つのポイント

さて,こういう時代に必要な日本語教育として,私たちが『未来』シリーズを制作していたとき留意したポイントは, (1) 学習者の生活に視点を据えながら,学習者の興味・関心をいかすこと, (2) 実際のコミュニケーション場面,インターアクション場面をできるだけ想定すること, (3)「ことばの教育」と「文化の教育」を統合するということでした。このように考えた背景を以下に説明します。

言語教育における文化観の転換の必要

まず,言語教育は一般に言語を教えることに重点をおき,文化はその言語の背景説明として教えるという傾向があります。その場合,文化は「知識」であり,教師はその「知識」を学習者に与えることになります。学習者が初級レベルの場合は,そうした「知識」は学習者の言語(たとえば英語)で与えられることもあります。しかし,その場合の「知識」は固定的な情報であり,静態的なイメージの場合がほとんどです。ここには,言語を教える教師の文化観が反映しています。つまり,文化とは「昔からあったもの」という捉え方です。

こうした文化観について,近年さまざまな疑問が出されています。たとえば,文化は固定的,均質的,静態的なものではなく,むしろ常に変化し,多様で,動態的なものではないかという捉え方です。文化をこのように捉えると,これまでのような言語教育,つまり,文化は言語の背景説明であるという考え方は見直さなければならなくなります。

どういう方法でどういう力を育成するか

言語教育において重要なのは,常に変化し,多様で,動態的である文化と言語教育をどう統合するかということです。これは,日本語教育において,どういう方法でどういう力を育成するかという課題につながります。

この点を具体例を通じて考えてみましょう。『未来』では「日本語のまんが」を使って,さまざまな「接触場面」を提示しました。たとえば,前述のジョンは日本のホームステイ先を初めて訪ねた時,日本の家の中にさまざまなスリッパがあること(トイレのスリッパやベランダのスリッパ)やスリッパを履いて入ってもよい部屋と入ってはいけない部屋(たとえば和室)があることなどを知り,戸惑ったり驚いたりします。このまんがは,単に日本の家に入る時は靴を脱がなければならないという「知識」や日本の「スリッパ文化」を教えているのではなく,学習者に日本語を学びながら,「接触場面」に見られる戸惑いや驚きを疑似体験させているのです。このことは学習者に,外国語を学ぶことは「違う世界」に「接触」することであることを示し,また,そうした場面では,戸惑ったり,誤解したり,驚いたりすることは当たり前であることを教えます。また教師が学習者に,それらの戸惑いや誤解や驚きをどう受け入れ,あるいはどう乗り越えていくかを問いかけることによって,学習者は,そのためには,どういう言語表現が必要か,必要な情報とは何かを自ら求め,発見していきます。さらに,このまんがから学習者は,果たして日本には「スリッパ文化」なるものがあるのかどうかを,近くの日本人に日本語で聞くことで,日本語を学びながら「日本社会」を相対化することも期待されます。

このように,(1) 学習者の興味や関心を中心に据えながら,(2) 多様な文化に「接触」し,その多様性を学びながら,(3) 戸惑いや誤解を乗り越えていく異文化対応能力を育てていくことが,これからの時代の言語教育の重要なテーマになると考えられます。

異文化対応能力を育てることの意義

文化は,人と人との間の関係性の中に立ちあらわれる社会認識です。よって,文化は常に変容し,多様なものとなっていきます。だからといって,言語教育において,いわゆる「伝統的な事柄」よりも現代的なポピュラー・カルチャーを教える方がよいというわけではありません。また,日本の「文化」や「社会」の多様性を示すためにさまざまな写真や統計資料を示すだけでも十分ではありません。なぜなら,それは,「日本にある多様性」という固定的なイメージを伝えるだけになるかもしれないからです。

これからの言語教育で重要なのは,多様な文化についての情報を知ることではなく,学習者が文化を捉えていく力や文化に対応していく力を育成していくことです。

人は人と「接触」することで社会認識を深め,その中で何が,なぜ,どのようにと考えていくことで「生きる力」を獲得していきます。写真や統計資料を通じて,そこにいる人の生活を「読み解く」ことによって社会認識を深めることができます。したがって,外国語を学びながら,「違う世界」におけるさまざまな場面を通じて「文化」や「社会」を考えていくことは,「考える力」や「生きる力」を育成していくことになります。

初等・中等教育レベルの日本語教育の目的も,まさにそこにあります。その場合,「違う世界」との「接触場面」は日本においてばかりあるのではありません。前述の幸子はその例です。幸子は,オーストラリアの学校のことが分からず,戸惑うことばかりです。オーストラリアの学校ではモーニング・ティーの時間がありますが,その時間に生徒がおやつを食べることに驚いたり,そのおやつを教室で食べてはいけないため,外で座って食べたりすることに戸惑ったりします。これらのエピソードを通じて,日本語学習者は,英語がうまく話せない日本人留学生とのコミュニケーションの仕方や,日本人留学生の戸惑いや驚きに対する理解を深めることができます。

このように,「接触場面」に見られる戸惑いや誤解を理解する能力,問題を解決していく能力,あるいは人と人との関係を創造していく能力の育成は,学習者が「文化」をどう理解し,どう向き合い,どのように「新しい文化」を創造していくかを考える基礎的な力を育成することにつながります。このことは,人もモノも文化も楽々と国境を越えていく時代の教育において,ますます重要なテーマになっていくと考えられます。幸子やジョンに続く子どもたちが国境を越えて出会い,共に築いていくものも「新しい文化」といえるでしょう。私たちはそうした「未来」を予感しています。