「移動」しながら,考える (新任挨拶)

川上郁雄

※『早稲田大学日本語研究教育センターニュース』第5号. p.6. (2002) より転載

4月に日本語研究教育センターへ着任しました川上郁雄と申します。伝統ある早稲田大学で仕事ができることを大変光栄に思っております。どうぞよろしくお願い致します。

オーストラリアの日本語教師一家と(一番右が川上)

専門は日本語教育と文化人類学です。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了後,国際交流基金の海外派遣日本語教育専門家としてオーストラリア・クイーンズランド州教育省に2年間(1990-1992)勤務し,帰国後,仙台にある宮城教育大学に9年間勤務し,早稲田にやってまいりました。

大阪大学大学院では「日本学」を専攻し,オーストラリアでは初等中等教育の日本語教育のアドバイザーを務め,宮城教育大学では主に留学生に対する日本語教育を担当しました。振り返ってみると,私のやってきたことは,空間的にも研究領域的にも「移動」しながら進んできたよう思えます。でも,「移動」しながら考えてきたことは,一貫して「ことばと文化」というテーマです。

私が日本語教育というものを知ったのは,高校生のときでした。私は新潟県村上市に生まれました。皇太子妃雅子さんの戸籍のあった町としてニュースにもなったところです。私が高校1年生のとき,東京から方言調査に国語学者がやってくるというので,地元の高校生数名が集められました。学校の応接室に行くと,温厚な初老の学者が私たちを待っていて,「空から落ちてくる水,何と言いますか」「同じ文字だけど,食べるほうは何と言いますか」等とやさしく質問し,そのたびに私たちは「雨」「飴」とか,また「橋」「箸」「端」とか村上方言で答えました。その学者が金田一春彦先生でした。つまり,私は金田一先生の方言調査のインフォーマントになったわけです。その後何度か村上を訪ねて来られた金田一先生から,先生が大学で留学生に日本語を教えていることやそのときのエピソードなど聞き,私は大変興味を覚えました。方言が学問の対象になること,また外国人に日本語を教える仕事があることを初めて知りました。それがきっかけで,日本語や方言に関する本を読むようになり,大学の専攻を決めました。

ところが,面白いもので,大学や大学院では当初の目標だけでなく,さまざまなことを学びました。特に大阪大学大学院時代は,日本の農村,漁村,山村でフィールドワークに明け暮れていました。どうして,また何をやっていたかの説明は,次の機会に譲りますが,結局,高校生のときに,金田一先生に出会ったことや,東北地方をひとり旅して,ひとつ山を越えるたびに,ことばや暮らし振りが少しずつ変わっていくことに興味を覚えたことが,私の研究の原点にあるようです。日本語教育と文化人類学,ふたつの領域を「移動」しながら,早稲田で新しい研究を立ち上げていきたいと思っております。

どうぞ,よろしく。