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小学校に導入された外国語教育(世界の教育事情-オーストラリア)
※『季刊エデュカス』No.3,大月書店 pp.98-99(1994)より転載
アウトバックの小学校
まず写真を見ていただきたい。この写真の小学校は,オーストラリア・クィーンズランド州の州都ブリスベーンから飛行機で三時間ほど飛び,さらに申で三時間ほど内陸部に入ったところの,人口数百人の町の小学校である。私が訪ねたのは冬だったので,気温は二五度ほどだったが,夏には四〇度を越えるのも珍しくないという。よって,写真のような帽子は言わば生活必需品で,「外で写真を撮りましょう」と私が言うと,子どもたちはすぐに各自の帽子を取って外に飛び出して行った。その学校にはもうひとつクラスがあったが,合わせても生徒数三〇人ほどの小さな学校であった。じつは,こんな田舎の,こんな小さな小学校でも,外国語教育として日本語が教えられているのである。
クィーンズランド州の面積は日本の四倍ほどだが,人口は約二〇〇万人。そして,その半分以上が海岸に近い都市部に集中している。そのため,内陸部の人口は希薄で,小さな学校が点在することになる。私は一昨年(一九九二年)末まで二年間この州の教育省に勤務し,いま最も重要視されている外国語教育にふれた。日本語を含む外国語教育が小学校にまで導入されている,オーストラリアの学校現場について報告する。
なぜ外国語教育なのか?
近年オーストラリアでは外国語教育に対する関心が高まっている。その背景は何か。
連邦政府は,八〇年代まで比較的ゆるやかだった言語政策を,九〇年代に入ると,明確な指針を持つ国家的戦略に変更した。この戦略は回の経済を建て直す戦略である。簡単に言えば,すべての国民に外国語を習わせ,外国との貿易や,外国人観光客の受入れに積極的に関わらせ,不況と高い失業率に疲弊しきった豪州経済を建て直そうというのである。そして,この経済戦略が,外国語教育となって学校現場に押し寄せているのである。
連邦政府は「アジアにこそ,オーストラリアの未来がある」とまで言い切り,アジア太平洋諸国との関係を重視し,その地域に経済的基整を築こうとしている。よって,日本語,中国語,インドネシア語などのアジア言語の学習が大いに奨励されている。連邦政府はまた,「西暦二〇〇〇年までには,小学校一年生からすべての生徒が外国語を学べるようにする」という白書をすでに発表しており,各州はそれに従って,外国語教育の導入を積極的に進めている。冒頭で述べたアウトバックの小学校の様子はその一例と言える。
クィーンズランド州の小学校
日本の中学校や高校で外国語教育と言えば英語教育がほとんどであろうが,オーストラリアの場合はかなり事情が異なる。たとえば,クィーンズランド州の公立校では,小学校で一三,ハイスクール(日本の中・高に相当,五年制)では,七つの外国語(正確に言えば,英語以外の言語で,先住民アボリジニーの言語も含む)が教えられている。もちろん,これらの外国語すべてが,どの学校でも教えられているわけではなく,学校によって教えられる外国語は異なる。
では小学校の現場の様子を少し見てみよう。
これまで小学校では外国語が教えられてこなかったため,小学校に外国語を教える先生はいない。そのため,近くのハイスクールの外国語の先生が小学校を訪問して授業をするシステムになっている。つまり,ハイスクールの先生はハイスクールでも教えながら,日によっては小学校に出かけて行って授業をするのである。小学校の外国語の授業は過に二回ないし三回ある(外国語によって若干異なる)ので,ハイスクールの外国語の先生は週に二日から三日は,午前中に小学校で授業をし,午後ハイスクールに帰ってまた授業をする,といった「時間割」になる。自分で車を運転して行くのだが,教師の負担は大きい。
また,このシステムをとるため,小学校で教える外国語はハイスクールで教える外国語によって決まることになる。たとえば,ハイスクールにドイツ語の先生がいれば,その周りの小学校ではドイツ語が教えられ,ハイスクールに日本語の先生がいれば日本語が教えられることになる。つまり,どの外国語を学習するかは外国語の教師の数やその配置等の行政的要素によって決まるのであって,生徒の意志によって決まるわけではない。
国家規模で進められる言語教育政策
連邦政府は外国語教育に関する全国共通のカリキュラムを設定し,すべての生徒に小学校から外国語をひとつでも習わせようと取り組んでいる。その意気込みは徹底している。先のアウトバックの小学校の近くにエア・スクールのステーションがあった。大農場に孤立する子どもたちに放送を通じて授業をする「学校」である。そこでも,「こんにちは」と呼びかける日本語の授業があった。ただ,「なんで日本語を勉強するの」という子どもの問いかけに,「だって,将来このアウトバックにも日本人観光客が来るかもしれないじゃない」と答えるという先生の,苦笑を交えた言葉が印象的だった。果してこの外国語教育が二一世紀のオーストラリアとアジア太平洋諸国との平和的関係に貢献するのかどうか。何より,子どもたちの生きる力になるのかどうか。国家的規模の実験とも言えよう。 (かわかみいくお)