移民の子どもたちの言語教育――オーストラリアの英語学校で学ぶ子どもたち

  • 表紙川上郁雄(著),オセアニア出版社より2012年4月刊
  • 2,600円+税 ISBN: 9784872031072
  • 豪日交流基金2010年度サー・ニール・カリー出版賞受賞
  • もくじ

書評コーナー

グローバル化の中の言語教育について考えさせられました

本柳とみ子(神奈川県立国際言語文化アカデミア)

本書は,オーストラリアにおいて,英語を第一言語としない移民の子どもたちへのESL(第二言語としての英語)教育がどのように実施されているかを,フィールド調査と政策分析を基に記述したものである。言語教育をテーマとし,特に,ESL教育の実践に多くのページを費やしながら,実践報告だけに留まらず,実践の背景となる国策を批判的に分析し,移民の子どものESL教育が直面している課題と政策との関係を探求した意欲的な研究書である。

第1部では,移民の子どもたちへの英語教育政策が歴史的に考察され,その後に続く実践報告の背景説明がなされている。第2部では,オーストラリアに入国したばかりの子どもたちが英語を集中的に学ぶために設置された公立学校での実践が,フィールドワークを通して詳述されている。さらに,第3部ではそれらの実践と政策との関連について考察され,オーストラリアの多文化主義政策や言語教育政策が学校現場の実践にどのように反映しているかが探求されている。そして,移民の子どもたちに対するESL教育は社会思想,経済政策,国家のあり方に関する様々な「力」との対決というディレンマに直面しており,経済的合理主義との拮抗,多文化主義イデオロギーとの矛盾,「メインストリーム化」の渦の中にあるESL教育という3つのディレンマが大きな課題であることが指摘されている。最終章では,オーストラリアの事例から日本が学ぶべき点が具体的に示され,日本においても「移動する子ども」の言語教育は重要な研究分野であると締めくくられている。

言語教育の研究書でありながら,難解な専門用語や堅い表現をできるだけ使用せず,誰もが理解できるわかりやすい言葉で書かれた本書は,大変読みやすい本である。特に,第2部で報告されている英語学校の実践は,その場にいるかのような錯覚を抱かせるほど生き生きと描かれており,思わず引き込まれてしまう。筆者の筆力に負うところは言うまでもないが,「移動する子どもたち」の教育に対する筆者の熱い思いが全編に込められていることが読者を惹きつける最大の要因であろう。そして,教育政策はだれのためのものなのか,何のために策定されるのか,グローバル化の中で教育はどうあるべきかなど,今後の日本の教育問題を考えるヒントもたくさん与えてくれる本である。

日本人のESL教員として「移民の子どもたちの英語教育」を読みました。

プラダーン久美(豪州・ハイスクールESL教員)

私はオーストラリアで移民の子どもたちに英語を教える日本人のESL教員として働いています。その私から見て,本書は大変興味深い本でした。

母国の文化,そしてオーストラリアで第二の文化を経験して育った子どもたちが,ふたつの言葉を自由に操れたらどんなに素晴らしいことでしょう。移動させられた子どもたちが,新たなアイデンティティーを形成し,現地に溶け込んで生活するためには,豊かなコミュニケーション能力が不可欠であると私は思います。そんな子どもたちの言語習得,アイデンティティー形成の過程に関われる事は,私たち教員の喜びです。

しかし,移民の子どもたちにとって現実は厳しいものがあります。移民の子どもたちを新しいコミュニティーの一員として受け入れ,言語教育を提供し,彼らの成長を見守って行くということは,国レベルの理解と受け入れ体制が必須条件です。つまり,政府,州政府,教育機関の方針がそれぞれの予算編成に組み込まれなければ,言語習得を学校のプログラムとして子どもたちへ提供することはできません。実際,オーストラリアでは予算削減の際にESL(第二言語教育)の予算が削られてしまうことがあり,それが現実なのです。本書を読みながら,私の仕事を国の言語政策から捉え直すことができました。

また,本書の後半にあったオーストラリアに暮らす「日本の子どもたち」の章も,興味深いものでした。私自身,国際結婚し,ふたりの子どもを育てています。親の言語は,ネパール語,日本語,そして英語です。複数の言語を背景に,どのような子育てをしていったらよいのか,日本語をどう教えたらよいのか,日々,考えています。本書を読みながら,子どもたちは将来,言葉や文化はどれだけ身に付いているのだろう,親がどれだけ手助けしてあげることが出来るだろうと,あらためて考えました。

Learning English in Australia: From Policy to Personal Stories

Caroline Mahoney (Education Officer, NSW Department of Education and Communities)

As a country founded on large-scale immigration, Australia has been teaching English to its new arrivals for many years. However it was not until Australia developed its National Policy on Languages in 1987 that other countries began to view it as a world leader in English as a Second Language (ESL) education. Although the future was looking bright for ESL in the late 1980s, a change in government led to prioritising the literacy skills of all students over specialised support for ESL learners.

As well as comprehensively outlining Australia's immigration and language education policies, Kawakami gives readers an insight into the experiences of English learners in three Australian states through use of case studies. This contextualises Australia's language policies by describing how they manifest in the day-to-day running of specialist ESL schools in Sydney, Brisbane and Melbourne. Both researchers and educators will benefit from Kawakami's detailed descriptions of the practical elements of ESL education such as student enrolment, orientation, placement, assessment, timetabling, utilisation of staff and curriculum.

Kawakami links his Australian research to Japan both through sharing the stories of three individual students and by describing the experience for Japanese students in Australia in general by exploring their opportunities for Japanese language maintenance. Finally, he asks what Japan can learn from Australia's approach to educating immigrant children with regards to national and individual identity, assimilation and citizenship.

Language education for the children of immigrants captures the realities of ESL education in Australia from the macro level of policy to the micro level of an individual's own experience, and offers researchers and educator an insight into the workings of a society with significant ESL needs.

日本に住む“移動する子ども”のための日本語教育に携わる立場から本書を読んだ

齋藤恵(中国帰国者定着促進センター)

日本のJSL教育の当事者として,オーストラリアの移民の子どもたちが学ぶ英語学校の教育について「聞いてみたいこと」が,著者の実地調査に基づいて丁寧に綴られている。オーストラリア各州の言語教育政策におけるESL教育の位置づけ,移民学校の教員やスタッフの体制,具体的な授業の様子や教師や学生の声など,一教師として共感し,また自分の実践はどうだろうかと振り返りながら一気に読み進めた。

本書の特色はそれだけではない。「多民族国家」と自他ともに認めてきたオーストラリアも,その思想背景に目を向けると様々な問題点があり,子どもへのESL教育もその影響を大いに受けていると指摘する。その上で,近年の議論を踏まえて「移動する子ども」のための言語教育を「その先へ」発展させる道筋を論じている。複数言語環境にある「移動する子ども」が生きていくために必要なことばの力とは何か。それを子どもたちが獲得するプロセスに言語教育がどのように関われるのか。本書は,オーストラリアのESL教育をめぐる議論を通じて,日本にいる「移動する子ども」の言語教育を見直すための観点を数多く提示しながら,「移動する子ども」に向き合う上で忘れてはならない重要な問いを,再認識させてくれる。

ともに現場を見たかのようです

橋本博子(豪州モナシュ大学)

本書では,オーストラリアの移民の子どもたちへのESL(英語)教育にとどまらず,LOTE(外国語)教育,日本語教育から,多文化主義やナショナリズムに関する議論まで,これまでそれぞれの分野の研究者が別の文脈で語ってきたことが,見事に結びつけられ,発展的に論じられています。政治の道具にされやすい移民政策や言語教育政策の揺れもオーストラリア社会や世界の状況の中でわかりやすく説明されています。

また,それぞれに特徴的な3校での非常に丁寧なフィールドワークは,筆者とともに現場にいるかのような感覚を与えてくれるものでした。責任者やESL教師に学校としての方針を尋ねたり教育活動を観察・記述したりするだけでなく,ボランティアとして活躍する一世や日本とつながりのある子どもへの筆者の関心や,移動する子どもを見つづけてきた筆者のやさしいまなざしが本書をますます面白くしていると思います。

子どもたちの歩みにそって

吉光邦子(モナシュ大学)

本書は,「移民の時代」にあって,大人の陰で多くの子どもたちが移動を繰り返さざるを得ない事実を指摘し,オーストラリアの実践と経験から移動する子どもたちの言語教育の課題を真っ向から捉えています。いま大人は何をしなければならないのかを痛感させられました。

多言語社会とは言え,オーストラリアでは国際語としての(高度の)英語リテラシー習得と維持は教育を受ける場ではもちろん,社会との接点を築くためにも不可欠です。私は,オーストラリアで大学生になった「日本の子どもたち」の自分のおかれた言語環境へのチャレンジを観察調査し続けながら,彼らのときにはくじけつつも自分の道をひたすら模索している姿に私自身も大いに勇気づけられています。子どもたちともに歩みながら,私も,とにかくできることをやっていきます。

帯より

トムソン木下千尋(ニューサウスウェールズ大学教授)

移民の子どもへの英語教育の教育現場をフィールドワークした貴重な書。オーストラリアの移民の子どもへの言語教育は,日本にいる外国人児童生徒への言語教育にも大きな示唆を与えるでしょう。