英国見聞録

浅井涼子(研究内容紹介

第3回 「N君との再会」[2008-03-06]

N君の故郷渡英前,4月から9月までの半年間,私は都内の小学校に在籍していたポーランド出身のN君(1年生)の支援をしていた。このN君が約9ヶ月間の滞日の末,12月中旬に帰国したという連絡を受け,休暇を利用して会いに行ってきた。(写真はN君の故郷)

1.Nへの支援の概要

はじめに,Nへの支援について簡単に触れたい。Nへの支援は,彼が来日して約1ヶ月,学校が始まって間もない4月中旬から始まった。週1度の家庭支援のほか,学校での授業見学も数回した。ご両親や担任の先生とお話しする機会も多くあり,Nに関して,情報を家庭,学校の双方から集め,多角的に検討できた実践であったと考えている。

家庭支援では,Nが好きな車やブロックを使ったり,絵を描いたりしながら話をしたり,お店屋さんごっこをしたりした。Nが興味を示すものを利用しながら,Nと私との間に豊かな日本語によるコミュニケーションが起こるように努めた。

2.再会

私を空港に迎えに来てくれたNは,父親の影に隠れていて,私が話しかけても,頷くだけだった。何も答えてくれず,仕舞いには泣き出されてしまった,初めて会った日のことが頭を過ぎる。もう日本語を忘れてしまったのだろうか,はたまた,私のこともあまり覚えていないのだろうか。しかし,そんな不安もすぐに消えた。しばらくして,Nの口から堰を切ったように溢れ出てきた日本語は,最後に会った9月よりも,寧ろ上達しているように感じられた。

2歳半になるNの妹も,私のことを覚えていてくれた。驚いたのは,発話数が圧倒的に増えていたことである。そのほとんどはポーランド語であるが,時々日本語も聞こえてくる。日本で保育園に通っていたNの妹は,母親によると,帰国してから日本語をだいぶ忘れてしまったらしい。今は,インプットが全てポーランド語という環境で,ポーランド語を学んでいる時期なのだろう。ただ,ポーランド語を日本語の語順でしゃべっているというから,興味深い。

Nの家には,日本から持ち帰った,私にとっても懐かしい品々がいくつかあり,机の横には,ランドセルが置いてあった。今でもランドセルで現地の学校に通っているという。ランドセルがきっかけとなって,併設されているインターナショナル・スクールの日本人児童とも交流していること,そこの校長先生がNを日本人コミュニティーのイベントに招待してくれたことを,ご両親が嬉しそうに教えてくれた。

日本で日本語を学んでいた父親は今も勉強を続け,母親も日本語の勉強を始めたという。Nも週に一度,日本語の教室に通っている。

3.Nのことばのセンス

首都ワルシャワの町並みポーランドでは,Nが私のポーランド語の先生だった。Nは発音にとても厳しく,なかなか合格をくれない。例えば,「Dziękuję(ありがとう)」を私が「ジンクーイエン」と言うと,「(語尾は)円じゃないよ」と注意したり,「Nie,rozmiem(わかりません)」の子音で終わる語尾が上手く言えないでいると,「100円」と何とも的確な,私にとって分かりやすい例を挙げてくれた。そのほか,「日本語にはラリルレロがあるでしょ。ポーランド語にはないんだよ。(後でNの母親に聞いたところ,似た音はあるらしい)」と,7歳とは思えない,すばらしいアドバイスをしてくれた。Nは鋭い言語感覚を持っているようだ。(写真は,首都ワルシャワの町並み)

Nに日本語を忘れないで欲しいと願っている両親は,家庭内で知っている日本語を積極的に使っている。しかし,私と話すとき以外は,Nから積極的な日本語による発話は少なかった。日本語を話す必然性がないのだから,当然かもしれない。ただ,両親の日本語には敏感に反応する。間違いを正したり,前述したように発音に敏感なNは,時には「アクセント!」と言って,発音にまで言及していた。

Nと私は日本語で話していたが,特に会話に支障を感じることはなかった。以前は,私の質問に対し,一語文や二語文で答えることが多かったが,「・・・し,・・・し,・・・し」と事柄を並列して述べたり,「ポーランド(語/人)は・・・だけど,日本(語/人)は・・・」と両者を比較して述べたりしながら,私に情報を提供してくれることも度々あった。また,私が本を読んでいると,ひらがなとカタカナを拾い読みしてみせた。私の滞在中,ちょうど彼らが日本から送った荷物が届き,その中に,Nの日本のクラスメイト一人ひとりからNへのメッセージを綴った冊子が入っていた。Nは大変喜び,毎晩寝る前にそれを読んでいるという。

このように,帰国後2ヶ月以上たった今も,Nの日本語は健在であった。Nの支援は私の渡英後,後任は就かなかったが,Nが学校,学童保育,空手教室など,それぞれの場で友達や周囲の人と良い関係を築き,その中で多くの日本語を学んだのだろうと感心せずにはいられない。また,不慣れなことが多い中,辛抱強くNを支えた両親や先生方にも感服する。JSLの子どもたちが日本語を学ぶとき,私たち大人がどれだけ多く,有意義な文脈を提供できるかが重要であると再確認した。ポーランドに帰国後,N達が日本語に触れる機会は格段に減ったが,積極的に日本語の環境を作っていた。

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今回,ポーランドで帰国後のJSLの子どもの様子を見るという貴重な体験ができた。何よりも,元気なNとその家族に再び会えたことがとても嬉しかった。Nが自身の滞日体験に意味づけするのはまだ先のことになろうが,その時にまた,日本語で語り合えたらどんなに嬉しいだろうか。

浅井 涼子(2008-03-06)

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