渡辺祐子

スウェーデン・国立ルンド大学
言語・文学センター[WEBサイト]日本語科客員講師

スウェーデン・ルンド大学日本語科の授業報告

ルンド大学日本語科

私のオフィスがある言語・文学センター(SOLセンター)の4階は,いつも日本語科の学生の声で賑わっている。4階には宿題の提出と返却用の箱が置いてあるのだ。PCに向かって作業をしながら,聞こえてくる陽気な学生たちの話し声や笑い声に,私もついつられて笑ってしまう。ルンド大学の日本語科で日本語を勉強していることが,彼らにとって誇りでもあり喜びでもあるのだ。

漫画やゲームなどのサブカルチャーの魅力に学習意欲を掻き立てられてか,日本語科は屈指の人気学科である。定員割れしてしまう他学科と比べて,日本語科には毎年定員(60名)以上の応募がある。2009年度秋学期には,入学局の手違いで90名の学生を受け入れてしまい,そのおかげで教師の授業数が増えてしまったほどである。

私は1年生の会話と2年生の会話と文法それに作文の授業を担当している。早稲田大学から客員講師として授業を任されている私の役割は,学生たちが日本語を通して自分たちの更なる興味を広げ,そして深めていけるような授業を行うことだと思っている。そして一人でも多くの学生が日本へ行き,彼らが学んだ日本文化を広めて行って欲しいと願う。

表現教育の効果

聞くところによると,スウェーデンの学校教育は日本と非常に似通っているようである。小学校の時から,教室の中では「先生」が絶対的な権利を持ち,学生たちは先生に対して質問をしたり意見を言ったりなどしないそうだ。もし敢えて教師に意見しようものなら,成績を落とされてしまうという。そのような教育を隔ててきた学生たちの授業態度を見ていると,良くも悪くも素直なのである。素直であるために,先生の言うことを全て信じて疑わない。素直であるがゆえに,貪欲に前に突き進もうとしない。このような学習態度は,講義式の一斉授業ならば,教師にとっては手間暇が省けてスムーズに機能するだろうが,言語運用能力を要するような会話の授業では,学生が話したくなるようなありとあらゆる工夫を教師は常に考えて実行しなければならない。

ここで,私が授業の中で試みたいくつかの「工夫」を紹介したいと思う。

1.「私はしたことがあるけど,他の人はしたことがないと思うこと」

学生が「~たことがあります」を自然なコンテクストで理解し使えるようになるには,「自分にとって特別で忘れられない経験」について語らせるのが良い。感情移入しやすく,語る表情や表現そのものが生き生きとし,全体として活発なやりとりが教室内で広がる。

学生たちの発話例
  1. 南アフリカで象にのったことがあります。
  2. マウンテンバイクから落ちて怪我をしたことがあります。
  3. イルカと泳いだことがあります。
  4. イタリアでミケランジェロの絵を見たことがあります。
  5. アイスランドの温泉に入ったことがあります。
  6. 自転車泥棒をつかまえたことがあります。
  7. コスプレの大会で優勝したことがあります。
  8. アンカフェのコンサートに行ったことがあります。
  9. 3日間徹夜したことがあります。
  10. 酔っ払って東京のトイレで寝たことがあります。
  11. 駐車場で3日間寝たことがあります。(金曜日に北スウェーデンで車が故障した)
  12. 子供のとき,スキー大会で優勝したことがあります。
  13. 羊に追いかけられたことがあります。

1,4,5のような,楽しい旅行の経験を語る学習者もいれば,2,11,13のような,辛くて痛い思い出もある。11のような経験は,週末になると全てのサービスが機能しなくなるスウェーデンの文化的特徴を反映しており,日本では考えられないような状況をスウェーデン人は当たり前のこととして受容しているあたりが,スウェーデン人の寛大な国民性を表している。また(10)のような発言は,聞いている者にとっては「きゃー,汚いっ!」と思わず叫んでしまうような話だが,言っている本人が一番このような反応を期待し,喜んでいる様子だった。13の発言をした学生は,特に「特別な経験」が思いつかずにしばらく頭を抱えていたのだが,他の学生の発言を聞いていくうちに,「他の人にはない経験」を思いついたらしく,「先生,being chased by sheep は日本語で何といいますか」と質問し,このような面白い体験談をしてくれた。優しくて大人しい羊に追いかけられるなんてことは常識的には考えられないわけだが,実際に追いかけられたという学生は,ひょっとしたら羊のほうが強いかも?と確かに納得できてしまうぐらい大人しい感じなのである。

2.「クラスメートが好きなもの」

これは単に「~から」を使わせるための練習ではなく,クラスメート同士がいかにお互いをよく関心を持って接しているかつまり,「自己」と「他者」を結ぶ活動である。

  1. ミアさんはデスノートの「L」のネックレスをしているから,「L」が好きだと思います。
  2. アンダースさんはよく本を読んでいるから,本が好きだと思います。
  3. ソフィアさんはよくクリスマスの歌を歌っているから,クリスマスが好きだと思います。
  4. ヨーナスさんはよく紅茶を飲んでいるから,紅茶が好きだと思います。
  5. ヨアキムさんは色々なくつを履いているから,靴がすきだと思います。
  6. カイサさんはピンクのペンを持っているから,ピンクが好きだと思います。
  7. マリンさんはいつも帽子をかぶっているから,帽子が好きだと思います。
  8. アイマンさんはイヤフォンの話をしているから,イヤフォンが好きだと思います。

クラスメートが好きな物を想像して,なぜそう思うのかその予想の根拠を問う活動を行ったところ,上記の1~8のような発言が出てきた。1の予想を立てられた学生は,「自分が身につけているお気に入りの物を,クラスメートが気付いてくれた」という嬉しい驚きで,満面の笑みを浮かべた。また「デスノート」は学生たちが好きな漫画なので,その話でも更に盛り上がった。2の学生は,休み時間によく本を読んでいるそうで,教師にとっては授業以外の学生のプライベートについて多少なりとも知るきっかけともなった。また,「どんな本が好きなんですか」「何かおすすめの本がありますか」など,更に質問を掘り下げることによってコミュニケーションを広げることもできる。

学生たちのこれから

政府からのローンで生活している学生にとって,試験に落ちることは死活問題である。追試にも落ちて進級できないとなると,学生援助がストップし,最悪の場合はアパートも出なければならないこともある。それでもやはり毎学期必ずといっていいほど,筆記試験に落ち,泣く泣く日本語の勉強を諦めなくてはならない学生がいる。そのような学生には8月にキャッチアップテストのチャンスが与えられ,それに合格すれば日本語科の正規学生として復活することができる。

日本の学生ならば,試験に落ちたら,先生や同級生に顔向けできないぐらい恥ずかしい気持ちで一杯になり,誰にも知れず身を引きそうなものの,ここ日本語科の学生はそうではなく,顔を真っすぐと上げ「絶対にまた来年戻ってきます!」と堂々と復活宣言をするのだ。落ちても落ちても絶対に諦めないその度胸と勇気は一体どこから湧いてくるのだろうか。赴任して2年目になる今になっても未だ分からない。ただ一つ分かるのは,9月に入学した学生たちの顔が日本語科に入ってから輝きを増し,次第に上に向かうようになることである。彼らが輝いた目で見つめるその先には,どうか日本があって欲しい。