国際研究集会『「移動する子どもたち」の言語教育――ESLとJSLの教育実践から』に参加して

中野裕美子(研究内容

研究大会の趣旨と内容

国際化とグローバリゼーションの影響の中,人口の大量移動現象が世界各地で見られるようになった。

大人が移動することによって,その家族である子どもも移動する。その結果,各国でその国のことばを第二言語として学ぶ子どもたちの教育の問題が顕在化してきている。

移動する子どもたちというのは,国から国へ移動するだけではなくことばとことばの間を移動しているということである。国から国,ことばからことばへ移動するということは,その分だけ気持ちやこころも大きく揺れるのだろう。

このような第二言語としてのことばを学ぶ子どもたちと関わっておられる先生方が,その教育について色々な方面からの考えや実践を報告し,移動する子どもたちのことば,そして成長を支える教育についての課題や問題点,そしてこれからのビジョンを共有することが,この大会の趣旨であった。

移民国家であり,国家的規模で言語教育が推進されている国としてよく知られている,オーストラリアでのESL(English as a Second Language 第二言語としての英語)教育及び日本でのJSL(Japanese as a Second Language 第二言語としての日本語)教育に関する,研究報告,実践報告が行なわれた。また,総合討論では「移動する子どもたち」のことばと成長をどのように支えられるかについてのビジョンを共有するとともに,問題点や課題などが明らかにされた。

研究大会に参加して

はじめに,移動する子どもたちは,国と国との間をそしてことばとことばの間を移動する。物理的な移動は,それに伴なう心の揺れをもたらすのだということを強く感じた。

私も小学生の時に2度,移動した。とは言え,その移動は日本国内であり,しかも2回目は比較的近い場所にであった。しかしその時の思いは,今も私の中で鮮明である。今まで,自分が常識だと思ってきた日々が全く違うものになるという現実。周りにいた友達も先生も,見慣れた家々も,近所のおばちゃんも,公園も…全てが知らないものに変わってしまう中で,必死に馴染まないといけないという思いを抱える毎日だった。

移動する子どもたちと日々を過ごしながら,一生懸命に実践されている先生方と,そしてその場その場で精一杯,“今”を生きている子どもたちが共に学びの空間を創っていくことのすばらしさと難しさの両方について,この研究集会での様々な発表を通して考えた。

また,このような学びの場が必要である子どもたちがたくさんいるにもかかわらず,制度的な制約などで充分に補償されることが難しいという現実や,その制約の中で日々格闘され,工夫されている先生方がたくさんいらっしゃるということをあらためて実感した。

そして,そのような開拓途中の産みの苦しみはオーストラリアでも日本でも根本的にはあまり違いがないのかもしれないということも感じた。

子どもたちが豊かに学んでいける環境とは,家族,学校,地域など,子どもたちをとりまくそれぞれの場所や人やものがバランスよく相互的に協力していけるところにはじめて成り立つものなのではないかと考える。

“今”とうい現実を本気で精一杯経験する子どもたち。その“今”があまりにも居心地の悪いものならば,逃げ出したくなったり嫌気がさしたり,がんばりたくなくなるのは当然のことなのではないだろうか。子どもたちが単純に,楽しい!とか,うれしい!と思え,そして安心して居ることのできる場所がまずあれば,子どもたちの潜在的なパワーが充分に発揮できるのではないだろうか。そして,そのような場所をどのようにつくっていけるかというのは,日本語教育に携わる私たちの大きな課題のひとつである。

子どもたちは,移動に関してはほとんど無力である。つまり,移動に関して自分で選ぶことができない。ただただ,自分の目の前で起きる様々なことに身をさらしていくしかないのかもしれない。このような子どもたちが,その一つひとつの経験を積み重ね,自分自身をかたちづくっていくために,家族や教育に携わる者が連携し,協力し,そして子どもたちの周りにある人環境とも手を結べるように考えていくことが,子どもたちの成長を支えるための大切な要素であるということを強く感じた。